牟呂八幡社 - 神社ファン

有名度

前頭

牟呂八幡社

むろはちまんぐう

愛知県豊橋市牟呂町字郷社1番

愛知県豊橋市牟呂町字郷社1番

拝殿

Yanajin33(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
牟呂八幡社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

応神天皇 おうじんてんのう
神功皇后 じんぐうこうごう

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

牟呂八幡社は愛知県豊橋市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、神功皇后の2柱をまつる。社格は旧郷社。
創建は文武天皇元年(697年)と伝わる。平安期成立の「三河国国内神名帳」には「従五位牟留天神」と記されており、早くから当地の信仰と結びついた神社であったことがうかがえる。文治2年(1186年)には、牟呂天神の境内に武神として八幡宮を併祀したと伝えられ、以後、地域の守護神としての性格と武家の信仰が重なり合う形で信仰を集めた。
貞応元年(1222年)には、鎌倉の鶴岡八幡宮を範として、三方に大門や三池をめぐらす境内整備が行われ、市杵島社や若宮八幡社などの境内社が勧請されたと伝えられる。これらの記録は、社勢の拡大が具体的な境内構成として現れていたことを示している。元禄6年(1693年)の記録には、社領や境内規模、複数の境内社名が挙げられており、近世を通じて村の中核的な鎮守として位置づけられていたことが確認できる。
昭和20年(1945年)6月の空襲により社殿は被災したが、その後再建され、現在の社殿は戦後復興の過程を経て整えられたものである。また、当地は幕末に流行した「ええじゃないか」との関わりが語られ、「発祥の地の一つ」とされている。
例祭は毎年4月の第2土曜・日曜に斎行され、稚児行列や宵宮祭などが行われる。なかでも、神事相撲を中心とする神幸祭は牟呂八幡社を象徴する祭礼として知られている。この神幸祭は、奉行・行司・2人の力士が無言で所作を進め、白布のマスクを着用するなど独特の作法を伝える点に特徴があり、「牟呂八幡宮の神事相撲を中心とした神幸祭」として豊橋市指定無形民俗文化財に指定されている。
  • 郷社
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出典
公式サイト
http://www.murohachiman.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E5%91%82%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A4%BE