南新宮社・八子社・曽志茂利社 | 熱田神宮 - 神社ファン

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熱田神宮

あつたじんぐう

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南新宮社・八子社・曽志茂利社

更新日:2026年9月2日

熱田神宮の境内でひときわ目を引く朱塗りの社殿が、境内摂社の南新宮社(みなみしんぐうしゃ)です。
御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。その傍らには末社の八子社(やこのやしろ)と曽志茂利社(そしもりのやしろ)が鎮座しています。
3社はいずれも素盞嗚尊や天王信仰と深いつながりを持っており、南新宮社を中心に一緒に見ておきたいお社です。

境内唯一の朱塗りの社殿「南新宮社」

南新宮社は熱田神宮の境内で唯一となる朱塗りの社殿を持つお社です。
御祭神は本宮の相殿にも祀られている素盞嗚尊。創建については諸説ありますが、古くから疫病を鎮める神として信仰されてきました。
南新宮社はかつて「天王社」とも呼ばれ、神仏習合の時代には素盞嗚尊と習合した牛頭天王を祀るお社として信仰されました。その由来については京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請したとする説のほか、尾張の津島神社との関係を指摘する説もあります。
南新宮社の祭礼の歴史も古く、寛弘年間(1004~1012)頃に疫病が流行した際、近隣の人々が幡鉾を奉って疫神を祀ったところ疫病が鎮まったことに始まると伝えられています。
南新宮社 社殿
祭礼は「天王祭」「祇園祭」「大山祭」などと呼ばれ、やがて巨大な山車や車楽が町を巡る盛大な祭りへ発展しました。江戸時代の『尾張名所図会』にも、大山や車楽が曳かれる当時の祭礼の様子が描かれています。
明治以降、道路環境や電線の敷設などによって巨大な大山・車楽の運行は次第に姿を消しましたが、南新宮社の祭礼そのものは現在まで受け継がれています。
現在は毎年6月5日に南新宮社祭が行われます。この日は熱田神宮最大の祭典である例祭、通称「熱田まつり」が行われる日でもあり、かつて疫病を鎮めるために始まった南新宮社の信仰が、熱田の夏祭りの歴史と深く結びついています。
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五男三女神を祀る「八子社」

南新宮社に向かって左側、西向きに鎮座している小さなお社が八子社です。
御祭神は、天照大神と素盞嗚尊が行った誓約(うけい)によって誕生した五男三女神です。
天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命の五柱の男神と、田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命の三柱の女神、合わせて八柱を祀っています。
「八子社」は古く「八王子社」とも呼ばれていました。
八子社 社殿
八王子信仰は牛頭天王・素盞嗚尊の信仰と深く結びついており、神仏習合の時代には牛頭天王の眷属・王子神を祀る信仰として各地に広まりました。一方、神道では天照大神と素盞嗚尊の誓約によって生まれた五男三女神を八王子として祀る例があります。
熱田神宮でも古い記録に「八王子社」「八子宮」などの名が確認され、南新宮社に付属するお社として長く祀られてきました。
かつて熱田神宮には南新宮社のほか、本宮や八剣宮、高座結御子神社などにも八王子・八子社が存在したことが古記録から確認されていますが、現在境内に残っているのは南新宮社の傍らに鎮座する八子社です。

素盞嗚尊と新羅の伝承につながる「曽志茂利社」

南八子社の近くに南向きに鎮座する小さなお社が、曽志茂利社です。
御祭神は居茂利大神(こもりのおおかみ)で、素盞嗚尊の別称とされています。
「曽志茂利」という珍しい社名は、『日本書紀』に記された素盞嗚尊の神話を思わせます。
『日本書紀』神代巻の一書には、高天原を追われた素盞嗚尊が、その子の五十猛神とともに新羅国へ降り、「曾尸茂梨(そしもり)」という場所へ至ったという異伝が記されています。
曽志茂利社の社名とこの「曾尸茂梨」との関係については諸説あり、語源が確定しているわけではありませんが、素盞嗚尊を祀るお社に「そしもり」の名が残されているのは興味深いところです。
近世には「居守社」「居森社」などとも呼ばれ、牛頭天王を祀るお社として記録されています。
曽志茂利社 社殿
朱塗りの南新宮社を中心に、五男三女神を祀る八子社、素盞嗚尊の別称である居茂利大神を祀る曽志茂利社が並ぶ一画は、熱田神宮に残された素盞嗚尊・天王信仰の歴史をまとめて見ることができる場所です。

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