別宮 八剣宮 | 熱田神宮 - 神社ファン

有名度

大関

熱田神宮

あつたじんぐう

愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号

😞 🙁 😐 🙂 😄

別宮 八剣宮

更新日:2026年9月2日

熱田神宮の第一鳥居(南門)の西側に鎮座する八剣宮(はっけんぐう)は、摂社・末社ではなく「別宮」です。
熱田神宮には数多くの摂社・末社がありますが、境内の別宮は八剣宮のみ。別宮とは本宮の別れとして祀られる特別なお宮で、本宮に次いで篤い崇敬を受けています。
御祭神や社殿の建築様式だけでなく、年間の祭典・神事も本宮に準じており、熱田神宮を参拝するなら本宮とあわせて訪れたい重要なお宮です。

708年、勅命によって神剣をつくり創祀

八剣宮の創祀は奈良時代の和銅元年(708)まで遡ります。
元明天皇の和銅元年9月9日、勅命によって神剣が新たにつくられ、熱田神宮の境内に社を建てて祀ったことが八剣宮の始まりです。
熱田神宮そのものが三種の神器の一つである草薙神剣と深い関わりを持つ神宮ですが、八剣宮も創祀から神剣と深く結びついています。
また、中世には草薙神剣を八剣宮に奉安したとする伝承も残されています。永禄10年(1567)の吉田兼右『日本書紀聞書』には、草薙神剣に7口の剣を加え、合わせて8口の剣を熱田に納めたことから八剣宮と呼ばれるようになったとする伝承が記されています。
八剣宮の創祀や社名には、古くから「剣」にまつわるさまざまな伝承が残されてきました。
別宮八剣宮 拝殿

「八剣宮」の八には2つの説

八剣宮という社名の「八」についても、興味深い説があります。
一つは、草薙神剣に7口の剣を加えた「8口の剣」に由来するという古い伝承です。
もう一つは、「八」は単なる数字ではなく「弥(や)」の意味とする説です。元熱田神宮宮司の篠田康雄は、「八剣宮の八は弥ということで、いよいよという意味」と説明しています。
「弥」には、いよいよ、ますますという意味があります。「弥栄(いやさか)」が、ますます栄えることを意味するのと同じです。
神剣の数を由来とする古い伝承と、「弥」の意味を重ねる説。八剣宮には社名についても複数の伝承・解釈が残されています。
別宮八剣宮 案内版
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御祭神も社殿も本宮と同じ

八剣宮の御祭神は本宮と同じです。
主祭神として熱田大神を祀り、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を相殿に祀っています。
社殿も本宮と同じ神明造で、建築様式だけでなく年間の祭典・神事も本宮に準じて執り行われています。
境内に数多くある摂社・末社とは異なり、本宮と同じ神々を祀り、同じように祭祀が行われているところにも、別宮八剣宮の特別な位置づけを見ることができます。
現在の社殿は平成26年(2014)に約80年ぶりとなる改修が行われています。
別宮八剣宮 本殿

織田信長・徳川家康・徳川綱吉も崇敬

八剣宮は古くから武家の信仰が特に篤かったお宮です。
天正3年(1575)、織田信長は長篠へ出兵する際、八剣宮の社殿を修造しました。
慶長4年(1599)には徳川家康が拝殿・回廊・築地を修造。さらに貞享3年(1686)には、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉によって本殿の造替が行われました。
織田信長から徳川家康、徳川綱吉へと、時代を代表する武将・将軍が八剣宮の社殿修造や造替に関わっています。神剣を祀るお宮として、武家から篤い崇敬を受けてきた歴史を伝えています。
熱田神宮 別宮八件宮 拝殿横

各地の八剣神社へ広がった信仰

愛知県内を中心に、「八剣神社」「八劔神社」「八剣宮」などの名を持つ神社が数多く鎮座しています。
そのなかには、熱田神宮の本宮ではなく、別宮八剣宮から神を勧請したと伝える神社があります。
たとえば碧南市の八剱神社は明徳2年(1391)に熱田から八剣宮を勧請したと伝えられ、西尾市佐久島の八剣神社にも平安時代の万寿年間(1024~1028)に八剣宮を勧請したとの伝承があります。
熱田神宮の境内にある別宮でありながら、その信仰が各地へ勧請されていったことからも、八剣宮が古くから本宮に次ぐ重要なお宮として崇敬されてきたことがうかがえます。

708年の創祀以来、神剣と深く結びつき、武家からも篤い崇敬を受けてきた別宮八剣宮。第一鳥居の西側にあるため本宮へ向かう参道から少し外れますが、熱田神宮の歴史、とりわけ草薙神剣や武家信仰との関わりを知るうえで見逃せないお宮です。

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