有名度
大関熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
信長塀
更新日:2026年9月1日
桶狭間の戦いに勝利した織田信長が奉納
本宮へ向かう正参道、三の鳥居の手前には、織田信長が奉納した「信長塀(のぶながべい)」が残っています。永禄3年(1560)5月19日、今川義元との桶狭間の戦いに出陣した織田信長は、清洲城から熱田へ向かい、熱田神宮で必勝を祈願しました。その後、今川義元を討ち取る大勝利を収めたことから、その御礼として奉納した築地塀が信長塀です。

さらに戦闘直前には激しい雨が降り、『信長公記』には人々がこれを「熱田大明神の神軍か」と語ったことも記されています。信長塀は、桶狭間の戦いと熱田神宮との深い関係を現在に伝える遺構でもあります。
瓦を幾重にも積み重ねた独特の築地塀
信長塀は、その造りにも特徴があります。熱田神宮によると、土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねて築かれています。横から見ると、土の間に大量の瓦が何層にも重ねられている様子を確認できます。信長塀の造営には多数の瓦が必要となったため、本宮北側に窯を築いて瓦を焼いたと伝えられています。その場所は後に「瓦焼」と呼ばれるようになったといいます。
奉納当初の信長塀は全長約400mあったともいわれていますが、現在残っているのは約120mです。ただし、当初約400mあったとする数字については明確な典拠が確認されておらず、正確な全長はわかっていません。

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日本三大土塀の一つ
信長塀は、兵庫県・西宮神社の「大練塀」、京都府・三十三間堂の「太閤塀」とともに、日本三大土塀の一つに数えられています。西宮神社の大練塀は室町時代に築かれたと推定され、国の重要文化財に指定されています。三十三間堂の太閤塀は豊臣秀吉ゆかりの塀です。織田信長ゆかりの信長塀とともに、戦国・安土桃山時代を中心とした歴史を現在に伝えています。
信長塀は三の鳥居付近から本宮の南側に沿って延びています。三の鳥居では正面の本宮に目が向きやすいため、塀に気づかず通り過ぎてしまうこともあります。三の鳥居に向かって右側、西楽所や大幸田神社付近には信長塀の案内板があり、瓦を幾重にも重ねた独特の構造も確認しやすい場所です。
桶狭間の戦いから460年以上。信長が戦勝への感謝を込めて奉納した塀の一部が現在も熱田神宮に残り、当時の信長と熱田神宮とのつながりを今に伝えています。

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