有名度
前頭上位大井神社
おおいじんじゃ
静岡県島田市大井町2316
参道の石垣
更新日:2026年9月24日
川越人足たちの祈りが込められた石垣
表参道の両脇に続く石垣は、江戸時代に大井川の川越稼業に携わっていた川越人足たちが築き上げたものです。川越人足たちは、自分たちの出番の日に大井川の河原から石をひとつずつ選んで持ち帰り、それを蓄積して独特の技法で石垣を築いたと伝えられています。
そこに込められていたのは、大井神社への感謝と川越しの安全への祈りでした。日頃の御加護に感謝するとともに、これからも無事に仕事を続けられるよう願って築いた石垣であり、大井川とともに暮らした人々と大井神社との深い関係を今に伝えています。

大井川は水量や流れの変化が激しく、川越人足にとって危険を伴う仕事でもありました。そうした歴史を知ってから参道を歩くと、何気なく並んでいる石の一つひとつが、人足たちの仕事の安全を願う祈りの証として見えてきます。
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島田宿大井川川越遺跡
大井神社から大井川方面へ向かうと、国指定史跡「島田宿大井川川越遺跡」があります。大井川の川越しを管理した川会所をはじめ、川越人足が待機した番宿、川札を換金した札場など、川越しに関係する遺構や建物が残されています。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と馬子唄に唄われたように、大井川は東海道屈指の難所として知られていました。
増水によって川を渡れなくなると「川留め」となり、旅人は水が引いて川越しが再開されるまで、島田宿や対岸の金谷宿で待たなければなりませんでした。江戸時代最長の川留めは、慶応4年(1868年)4月28日から5月26日までの連続28日間に及んだ記録が残されています。

明治時代に入ると大井川の架橋や渡船が認められるようになり、江戸時代から続いた川越制度も役目を終えました。
島田宿大井川川越遺跡は昭和41年(1966年)8月1日に国の史跡に指定されました。旧東海道沿いには川会所跡や札場、番宿など、川越制度の歴史を伝える建物や遺構が残されています。
大井神社の参道に残る石垣を見たあとに川越遺跡を訪れると、その石を一つずつ運んだ川越人足たちがどのような環境で働いていたのか、より具体的に知ることができます。
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