有名度
前頭上位大井神社
おおいじんじゃ
静岡県島田市大井町2316
御陣屋稲荷神社
更新日:2026年9月24日
代官屋敷内にお祀りされていた稲荷神社
大井神社から東へ10分ほど歩いた先、柳町に御陣屋稲荷神社(ごじんやいなりじんじゃ)が鎮座しています。大井神社の飛地境内社で、屋根の上に置かれた白い狐も印象的です。御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と保食神(うけもちのかみ)。五穀豊穣を願って祀られた神社で、通称「悪口稲荷」としても知られています。
SyunPyo(Wikipedia CC 表示-継承 4.0)寛政6年(1794年)には島田代官所が駿府代官所に統合され、島田陣屋は出張陣屋となりましたが、稲荷社はその後も残され、「御陣屋稲荷」と呼ばれるようになりました。
代官所の敷地は普段、一般の人々が自由に立ち入れる場所ではありませんでした。しかし初午の祭礼の日には開放され、町の人々も稲荷社へ参拝することができました。この日は陣屋内で土産物の販売も許され、大勢の人で賑わったと伝えられています。
現在も例祭は初午にあわせて行われています。
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風刺が名物「悪口稲荷」
御陣屋稲荷神社が「悪口稲荷」と呼ばれるようになった背景には、初午の祭礼で行われていた一風変わった風習があります。大井神社では、古くから例祭になると、その年に起きた出来事を風刺した戯画の軒灯が付近の民家に掛けられ、毎年話題を呼んだと伝えています。
さらに島田では、町で起きた珍しい出来事などを題材にした風刺人形を作り、初午の参拝者に見せる風習もありました。悪口などを賽銭箱に投げ入れ、それをもとに風刺人形が作られたとも伝えられています。普段は立ち入ることのできなかった陣屋が開放される初午の日に、人々は稲荷参りとともに、こうした風刺を楽しんだのです。
風刺人形がいつ、どのような経緯で始まったのかについては、はっきりしていません。江戸時代の陣屋では罪人を晒し、後には勧善懲悪や忠孝貞節を人々に知らしめるため、罪状などを記した人形を見世物にしたという伝承も残されています。その風習が後に庶民による世相風刺へ変化したともいわれますが、詳しい経緯は明らかになっていません。

現在では5,000点を超える応募が寄せられる年もある島田のユニークな催しとなっています。江戸時代から風刺で人々を楽しませてきた「悪口稲荷」の歴史を知ってから訪れると、小さな稲荷社のまた違った一面が見えてきます。
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