有名度
小結久能山東照宮
くのうざんとうしょうぐう
静岡県静岡市駿河区根古屋389
日枝神社
更新日:2026年9月26日
家康の本地仏がお祀りされていた神社
御社殿の東側、参道沿いには大山咋命(おおやまくいのみこと)をお祀りする日枝神社が鎮座しています。久能山東照宮の末社であり、1618年(元和4年)に建造されました。建物の大きさは桁行3間、梁間3間。入母屋造りで正面には向拝が設けられ、屋根は銅瓦で葺かれています。1955年(昭和30年)には国の重要文化財に指定されました。文化庁では現在も「末社日枝神社本殿(旧本地堂)」の名称で登録されています。

現在は日枝神社となっているこの建物ですが、創建当時は「本地堂」と呼ばれる仏堂でした。
当時は徳川家康を「東照大権現」として神格化するとともに、その本地仏である薬師如来像が本地堂に安置されていました。本地仏とは、日本の神は仏が人々を救うために姿を変えて現れたものとする「本地垂迹」の考え方によって、その神の本来の姿とされた仏のことです。
つまり江戸時代の久能山東照宮では、家康を神として祀る一方、その本地仏である薬師如来も境内でお祀りしていました。現在の日枝神社は、久能山東照宮に神仏習合の信仰があったことを現在に伝える建物でもあります。
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しかし明治時代に神仏分離が行われると、本地堂に安置されていた薬師如来像は移されました。久能山東照宮の案内によると、1870年(明治3年)12月に大正寺へ移されています。その代わりに、楼門内東側に鎮座していた山王社の御神体がこの建物へ遷され、社名も「日枝神社」と改められました。
建物そのものは1618年から残りながら、家康の本地仏を祀る「本地堂」から、大山咋命を祀る「日枝神社」へと役割を変えたことになります。久能山東照宮で起きた神仏分離の歴史を、建物そのものから知ることができる貴重な場所です。

徳川家とゆかりが深い日枝神社
日枝神社のご祭神である大山咋命は、山や土地と深く結びついた神様です。久能山東照宮では、大山咋命の「咋」には「主」という意味があり、大山の主であるとともに広く地主神として崇められ、山・水を司り、大地を支配し、万物の成長発展や産業万般の生成化育を守護する神様としています。毎年6月15日には日枝神社の例祭が斎行されています。
また、日枝神社では厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌などの御神徳でも信仰されています。
大山咋命を祀る日枝・山王信仰は、徳川家とも深いつながりがあります。
現在の東京都千代田区永田町に鎮座する日枝神社は、太田道灌が江戸城を築く際に川越山王社を勧請したと伝えられています。1590年(天正18年)に徳川家康が江戸城を居城とすると、「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として歴代将軍家から篤い崇敬を受けました。現在の日枝神社も「徳川家の守り神」と紹介しています。
久能山東照宮の日枝神社も、明治時代になって新しく山王信仰が持ち込まれたわけではありません。もともと境内の楼門内東側には山王社が鎮座しており、神仏分離によってその御神体が旧本地堂へ遷されたことで現在の日枝神社となりました。
本地堂として家康の本地仏・薬師如来を祀っていた時代から、大山咋命を祀る日枝神社となった現在まで、同じ建物が久能山東照宮の信仰の変化を400年以上にわたって伝えています。
参拝する際には大山咋命にお参りするとともに、色鮮やかな獅子の彫刻や三つ葉葵にも目を向け、この建物がかつて家康の本地仏を祀る仏堂だったことも思い出してみてください。
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