五重塔跡 | 久能山東照宮 - 神社ファン

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久能山東照宮

くのうざんとうしょうぐう

静岡県静岡市駿河区根古屋389

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五重塔跡

更新日:2026年9月26日

神仏習合時代の面影を残す「五重塔跡」

参道を本殿に向かって進み楼門をくぐった先、神厩の隣には五重塔跡が残されています。かつてこの場所には、3代将軍徳川家光の命によって建てられた、高さ約30メートルにも及ぶ五重塔がそびえていました。
五重塔は1635年(寛永12年)に着工し、翌1636年(寛永13年)正月に完成しました。徳川家康を祀る神社の境内に五重塔が建っていたことを不思議に思うかもしれませんが、江戸時代までは神道と仏教が密接に結びついた神仏習合が一般的でした。五重塔は、現在とは異なる久能山東照宮のかつての姿を物語る建築物でした。
しかし明治時代になると、神道と仏教を分ける神仏分離が進められます。久能山東照宮でもその影響を受け、五重塔は明治6年(1873年)に取り払われました。
五重塔跡おはぐろ蜻蛉(Wikipedia パブリック・ドメイン)
現在は建物こそ残っていませんが、五重塔が建っていた場所には礎と礎石が当時の位置のまま残されています。塔跡の中央にあった礎石は、五重塔を貫く心柱の下部を受けるためのものでした。この礎石は後に掘り起こされて前方へ移されており、かつて五重塔の中心だった場所を現在も確認することができます。
高さ約30メートルもの塔がここに建っていたことを想像しながら礎石を見ると、現在の境内とはかなり異なる景色が広がっていたことが分かります。建物が失われた現在だからこそ、残された礎石は久能山東照宮の神仏習合時代を伝える貴重な痕跡といえるでしょう。そして五重塔跡を訪れたら、ぜひその後ろに青々と茂る蘇鉄にも注目してみてください。この蘇鉄は、駿府城内にあったものを移植したと久能山東照宮に伝えられています。現在も樹勢は盛んで、五重塔の礎石とともにこの場所の印象的な景観をつくっています。
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蘇鉄と家康

駿府城と蘇鉄の組み合わせには、徳川家康にまつわる興味深い伝説があります。
静岡県榛原郡吉田町の能満寺には、高さ約6メートル、枝数約90本にもなる巨大な蘇鉄があります。「能満寺のソテツ」として国の天然記念物に指定され、日本三大ソテツのひとつにも数えられる名木です。
能満寺のソテツSato S(Wikipedia CC 表示-継承 3.0)
この蘇鉄には、陰陽師として知られる安倍晴明にまつわる伝説があります。吉田町に伝わる話では、安倍晴明が大井川を流れてきた大蛇を葬り、その場所に中国から持ち帰った蘇鉄を植えたところ、大蛇を思わせるような巨大な姿に成長したとされています。
さらに、この蘇鉄には徳川家康も登場します。
家康は能満寺の蘇鉄を大変気に入り、船を使って駿府城へ運ばせ、城内へ移植したと伝えられています。ところが移植後、夜になるたびに蘇鉄から「いのう……いのう……」という声が聞こえるようになったといいます。「いのう」とは「帰ろう」という意味で、故郷の能満寺へ帰りたがって蘇鉄が泣いていると考えられました。
それを知った家康は蘇鉄を哀れに思い、再び能満寺へ戻してあげたと伝えられています。現在も吉田町では、家康と「泣いたソテツ」の物語が遠州七不思議のひとつとして紹介されています。
久能山東照宮 大蘇鉄
久能山東照宮の五重塔跡に植えられている蘇鉄が、この能満寺のソテツそのものというわけではありません。しかし、久能山の蘇鉄も駿府城から移植されたものです。家康と蘇鉄にまつわるこうした伝説を知ると、家康が晩年を過ごした駿府城と蘇鉄との意外なつながりが見えてきます。
五重塔跡を訪れた際は、残された礎石だけでなく、その後ろに力強く葉を広げる蘇鉄にも目を向けてみてください。失われた五重塔の痕跡と、駿府城から移されたと伝わる蘇鉄を一緒に見ることができる、久能山東照宮の歴史を感じられる場所です。

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