神庫 | 久能山東照宮 - 神社ファン

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久能山東照宮

くのうざんとうしょうぐう

静岡県静岡市駿河区根古屋389

😞 🙁 😐 🙂 😄

神庫

更新日:2026年9月26日

数々の宝物が収められていた「神庫」

神楽殿の隣、一段高くなった場所に建っているのが「神庫(しんこ)」です。
神庫は1626年(寛永3年)、大御所徳川秀忠の寄進によって「御宝藏(ごほうぞう)」として建立されました。駿府藩主の徳川忠長が、松平壱岐守正朝を奉行として造営した建物です。
実はこの建立年代が明らかになったのは比較的最近のことです。
2018年(平成30年)の台風24号によって神庫の屋根が被害を受け、その修理工事を行った際、小屋裏から棟札が初めて発見されました。そこに大御所秀忠の「御寄進」や「駿河大納言」忠長などの記載があり、それまで記録によって前後していた神庫の建立年代や造営に関わった人物が明らかになりました。
現在も文化財データベースなどには1618年(元和4年)とする資料がありますが、久能山東照宮では、この新たに発見された棟札から1626年(寛永3年)の建立としています。400年近く建ってきた建物そのものから、平成になって新たな歴史が判明したことになります。
建物の大きさは桁行5間、梁間3間。格式の高い入母屋造りで、屋根は銅瓦で葺かれています。1955年(昭和30年)には国の重要文化財に指定されました。
神庫
最大の特徴は、奈良の正倉院でも知られる「校倉造り」です。久能山東照宮の公式案内でも「奈良の正倉院と同じ校倉造りの建物」と紹介されています。境内には極彩色の彫刻や漆塗りで飾られた建築物が数多くありますが、神庫はそうした建物とは大きく印象が異なります。宝物を守る蔵らしい外観と、木材を組み上げた壁にも注目してみてください。
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現在の久能山東照宮には博物館がありますが、博物館ができるまでは、この神庫に神社へ伝わったさまざまな宝物が納められていました。
その中でも特に有名なのが、国の重要文化財に指定されている徳川家康ゆかりの「洋時計」です。
この時計は1581年、スペイン国王に仕えた時計師ハンス・デ・エバロによって製作されたもので、現存するゼンマイ式時打付時計としては日本最古とされています。
1609年(慶長14年)、前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロらを乗せたスペイン船が現在の千葉県御宿町付近で難破しました。地元住民による救助を経て、家康はビベロ一行の帰国を支援します。
その海難救助などへの返礼として、1611年(慶長16年)、スペイン国王フェリペ3世から家康へ贈られた品の一つが、この洋時計でした。
スペイン国王フェリペ3世から贈られた洋時計不明(Wikipedia パブリック・ドメイン)
家康は洋時計を気に入り部屋に飾っていたと伝えられています。1616年(元和2年)に家康が亡くなると久能山東照宮へ納められ、その後は神庫で約300年もの長い年月にわたって大切に保管されました。
神宝としてほとんど手を加えられずに守られてきたことが、結果として驚くほど良好な保存状態につながりました。2012年(平成24年)には大英博物館時計部門の専門家による調査が行われ、製造された16世紀当時のオリジナル部品が99%残り、革製のカバーまで現存していることが確認されています。世界にも類例がないほど貴重な時計と評価されました。
現在、洋時計は久能山東照宮博物館に収蔵されています。博物館にはこのほかにも家康が愛用した品々をはじめ、刀剣や甲冑など徳川家ゆかりの宝物が数多く収蔵され、その総数は約500件、2000点以上に及びます。
博物館が開館する以前、その宝物を守る役割を担っていたのが、この神庫でした。
現在は外観を眺めるだけの建物ですが、ここに約300年間も家康の洋時計が眠っていたこと、さらに平成の修理によって小屋裏から棟札が発見され、約400年前の建立事情まで明らかになったことを知ると、神庫そのものが久能山東照宮の歴史を現在へ伝えてきた「宝物」の一つであることが分かります。

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