神楽殿 | 久能山東照宮 - 神社ファン

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久能山東照宮

くのうざんとうしょうぐう

静岡県静岡市駿河区根古屋389

😞 🙁 😐 🙂 😄

神楽殿

更新日:2026年9月26日

家康の遺訓が掲げられている「神楽殿」

神饌所の東側、御社殿手前の参道沿いには神楽殿が建っています。1618年(元和4年)に造営された建物で、大きさは桁行5間、梁間3間。入母屋造りの妻入りで、屋根は銅瓦で葺かれています。側面にはガラス窓がはめ込まれた大変見通しの良い建物で、国の重要文化財に指定されています。
神楽殿 上から江戸村のとくぞう(Wikipedia CC 表示-継承 4.0)
「神楽殿」という名前から、かつてここで神楽が盛んに奉納されていた建物を想像するかもしれません。しかし久能山東照宮に残る古記録には「古来神楽は奏せざる例」とあり、以前は武家から奉納された絵馬が掲げられていたと伝えられています。名前と実際の使われ方が異なっていたという、少し珍しい歴史を持つ建物です。
現在は家康の肖像画と遺訓、徳川御三家をはじめとする「三つ葉葵」の家紋などが展示されています。外観だけを見て通り過ぎず、ガラス越しに内部にも注目してみてください。とくに見ていただきたいのが「東照公御遺訓」です。
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず」で始まる遺訓で、久能山東照宮では、生涯をかけて平和な国づくりを成し遂げた家康の理念や理想の精髄が表されたものとして伝えています。
「不自由を常とおもへば不足なし」「堪忍は無事長久の基」「いかりは敵とおもへ」「おのれを責て人をせむるな」など、戦国時代を生き抜いた家康の人生と重ねて読むことのできる言葉が並びます。
久能山東照宮 神楽殿
華麗な彫刻や建築物だけでなく、ご祭神である家康がどのような考え方を大切にした人物として伝えられているのかに触れられるのも、神楽殿の見どころです。ぜひ足を止めて遺訓にも目を向けてみてください。
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プラモデル産業の礎を築いた家康

神楽殿横にはプラモデルが多数展示されています。プラモデルに携わる企業などから奉納されたもので、機動戦士ガンダムをはじめ、電車やヘリコプター、レーシングカーなどさまざまな模型を見ることができます。
一見すると、400年以上の歴史を持つ久能山東照宮と現代のプラモデルには、何の関係もないように思えるかもしれません。しかし静岡の模型産業の歴史をたどっていくと、家康の時代のものづくり文化へとつながっていきます。
久能山東照宮 神楽殿 プラモデル展示
家康の時代には、駿府城や久能山東照宮などの大規模な建築が行われ、そのために全国各地から優れた大工や彫刻師、漆工などの職人が駿府へ集められました。工事が終わったあとも駿府に残った職人たちは、その優れた技術を漆器や木工製品などの製作に生かし、静岡のものづくり文化の基礎を築いていったといわれています。
こうして受け継がれた木工技術は、昭和に入ると木製模型へと発展しました。1932年(昭和7年)には静岡で木製模型飛行機の製造販売が始まり、これが静岡の模型産業の第一歩となります。
戦後になると海外からプラスチック製模型が入ってくるようになり、それまで木製模型を作っていた静岡のメーカーもプラスチック模型へと転換していきました。長く培われてきた加工技術とものづくりの土壌を背景に模型メーカーや関連企業が集積し、静岡は日本を代表するプラモデルの生産地へと成長していきます。
現在もその地位は圧倒的です。2024年の静岡県におけるプラスチックモデルキットの出荷額は411億400万円で全国1位。全国出荷額の82.5%を静岡県だけで占めています。
家康自身がプラモデルを作ったわけではありません。しかし、家康の時代に全国から優れた職人が駿府へ集まり、その技術が地域に根付いて木工産業を発展させ、その流れの先に木製模型、さらに現在のプラモデル産業があると考えると、家康は現代の「模型のまち静岡」につながるものづくり文化の出発点のひとつに位置付けられます。
神楽殿横に並ぶプラモデルは、歴史ある東照宮の境内では少し意外な展示に見えるかもしれません。しかし国宝社殿の精巧な彫刻と現代のプラモデルを見比べてみると、約400年前に駿府へ集まった職人たちから現代まで続く、静岡のものづくり文化を感じられる興味深い場所です。

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