有名度
小結久能山東照宮
くのうざんとうしょうぐう
静岡県静岡市駿河区根古屋389
実割梅
更新日:2026年9月26日
家康が自ら育てていた梅
唐門の石段横にある白梅は「実割梅(みわりうめ)」と呼ばれており、徳川家康が駿府城で自ら大切に育てていたと伝わる梅です。「実割梅」という少し変わった名前にも由来があります。久能山東照宮に残る石碑によると、この梅は花の色や香りが美しいだけでなく、実も珍しく、熟すと種が二つに割れることから「実割梅」と呼ばれるようになったと伝えられています。

しかし明治維新を迎えると、この梅干を奉納するしきたりは途絶えてしまいます。当時、久能山東照宮の第一祠官、現在の宮司にあたる役職を務めていた出島竹齋は、梅そのものの存続や由来が忘れられてしまうことを心配しました。
そこで最後の将軍であった徳川慶喜と協議し、1876年(明治9年)2月25日、実割梅を駿府城から久能山東照宮へ移植しました。現在、唐門の近くで見ることができる実割梅には、こうした経緯があったのです。
出島竹齋の行動に感銘を受けたのが、勝海舟でした。勝海舟は山岡鉄舟とともに実割梅の前へ石碑を建立し、その由来を後世へ伝えています。碑文は勝海舟が記し、表額は山岡鉄舟が書いたものです。
碑文には、東照宮を参拝する人々に対して、この梅の花を見て色や香りを楽しみながら家康が生きた昔をしのんでほしい、という趣旨の言葉も残されています。
実割梅の物語は、そこで終わったわけではありません。久能山東照宮では現在も出島竹齋の志を受け継ぎ、ご祭神である家康に喜んでもらえるよう梅の木を管理するとともに、梅干の奉製を続けています。
家康が駿府城で育てたと伝わる梅が、明治時代に久能山へ移され、現在も花を咲かせ、その実から梅干が作られていることになります。唐門へ向かう際には白梅だけでなく、そばに建つ石碑にもぜひ目を向けてみてください。
スポンサーリンク
家康お手植えの「臥龍梅」
静岡市清水区にある清見寺にも、徳川家康ゆかりの「臥龍梅(がりゅうばい)」と呼ばれる梅があります。清見寺の公式案内によると、家康が清見寺を訪れた際、清見関にあった梅を取らせて接ぎ木したものと伝えられています。龍が地面に臥しているような姿から「臥龍梅」と呼ばれ、家康が亡くなって400年以上を経た現在も清見寺の庭で生き続けています。
歌人の与謝野晶子も清見寺を訪れており、この臥龍梅を題材に歌を詠んでいます。家康ゆかりの梅であるだけでなく、後世の文化人にもその姿を愛された梅です。
Tnk3a(Wikipedia CC 表示-継承 3.0)国の名勝に指定されている清見寺庭園も家康と深いつながりがあります。江戸時代初期に山本道斎によって作庭されたと伝えられ、最初の築庭には家康の意向が取り入れられました。家康はこの庭を特に愛し、駿府城から石を運ばせて庭に配置したことも伝えられています。
久能山東照宮の実割梅と清見寺の臥龍梅。由来は異なりますが、どちらも駿府で生涯の長い時間を過ごした家康と梅とのつながりを現在に伝えています。
清見寺は久能山東照宮から少し離れていますが、臥龍梅だけでなく家康公手習之間や名勝庭園など、家康ゆかりの見どころが数多く残されています。久能山東照宮とあわせて訪れると、駿府で暮らした家康の足跡をより深くたどることができます。
この記事を0人の方がいいねといっています
スポンサーリンク
