有名度
関脇富士山本宮浅間大社
ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ
静岡県富士宮市宮町1-1
富士山頂上浅間大社奥宮
更新日:2026年9月17日
富士山頂上は浅間大社の境内
富士山の8合目から上が、富士山本宮浅間大社の境内地であることをご存知でしょうか。富士山頂の噴火口は古くから「内院」と呼ばれ、その底には浅間大神が鎮まると考えられてきました。噴火口の底部がおおむね8合目と同じ標高にあたることから、8合目から山頂までの区域は富士山の中でも特に神聖な場所とされてきました。
現在、富士山の8合目以上に広がる約120万坪の土地は浅間大社の境内地となっています。その山頂に鎮座するのが「富士山頂上浅間大社奥宮」です。
Saigen Jiro (Wikipedia CC0)富士山頂には7・8月の開山期だけでも約30万人の登拝者が訪れるとされ、奥宮にも多くの参拝者が訪れます。
開山期には神職が常駐し、祭典や祈祷が行われるほか、お札やお守り、御朱印などを受けることができます。標高約3,700mという場所ですが、なんと結婚式を挙げることもできます。
8月15日は奥宮の例祭日で、富士山頂上奥宮と久須志神社で例祭が執り行われます。
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富士山頂を巡る長い争い
現在では富士山8合目以上は浅間大社の境内地となっていますが、その権利が初めから認められていたわけではありません。浅間大社が山頂部の管理・支配を強める大きな契機となったのが、1609年(慶長14)の徳川幕府による裁許でした。浅間大社は、登拝者が山頂に奉納した散銭を取得する優先的な権利を認められ、これを足がかりとして山頂部への支配を強めていきます。
しかし、富士山には複数の登山口があり、それぞれの登山口に関係する神社や御師なども山頂に権利を持っていたため、山頂部を巡る争いが起こりました。
なかでも浅間大社と須走口の富士浅間神社との争いは長期化し、1779年(安永8)、江戸幕府の裁許によって富士山8合目以上に対する浅間大社の支配権が認められました。
ところが明治時代になると、8合目以上の土地は国有地とされます。
浅間大社はその後、国に土地の返還を求め、1974年(昭和49)の最高裁判決によって浅間大社側の主張が認められました。さらに境界の確定などを経て、2004年(平成16)に8合目以上の土地が浅間大社へ返還されています。
浅間大社では、この境内地を巡る長い歴史を伝える「富士山境内地確定記念祭」が、現在も毎年4月9日に執り行われています。

お鉢巡りで富士山頂の聖地を巡る
富士山頂の噴火口の周囲には、剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就岳・朝日岳・浅間岳・駒ヶ岳・三島岳の8つの峰があります。古くは噴火口を「内院」と呼んで富士山最大の聖域とし、その周囲に連なる8つの峰を仏の座す蓮華の花弁に見立てて「八葉」と呼びました。
この八峰を巡拝するのが「お鉢巡り」です。
いつ頃始まったのかは定かではありませんが、江戸時代に盛んになった富士講の登拝では、山頂の神社に参拝したあと、時計回りに八峰を巡るお鉢巡りが行われていました。
富士講の人々は金剛杖を手に「六根清浄」などと唱えながら富士山を登り、山頂でも噴火口を中心とした聖地を巡拝しました。単に山頂へ到達するだけではなく、お鉢巡りまで行うことが富士登拝の重要な行程だったのです。
かつては八つの峰の頂を巡りましたが、現在のお鉢巡りでは峰の頂上を通らず、火口の周囲を一周します。
一周は約3km、所要時間はおよそ90分です。途中には日本最高地点となる標高3,776mの剣ヶ峰をはじめ、奥宮や久須志神社、金明水・銀明水など、富士山信仰の歴史を伝える場所が点在しています。
山頂付近は強風や濃霧などに見舞われることもあるため、天候が悪い場合には無理に巡らないことが大切です。
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