楼門 | 富士山本宮浅間大社 - 神社ファン

有名度

関脇

富士山本宮浅間大社

ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ

静岡県富士宮市宮町1-1

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楼門

更新日:2026年9月17日

神域との境界をあらわす楼門

富士山本宮浅間大社の楼門は、本殿や拝殿と同じく、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した御礼として造営した建造物です。
楼門は間口約7.2メートル、奥行約4.5メートル、高さ約11.8メートルの2階入母屋造で、屋根には本殿や拝殿と同じく檜皮葺が用いられています。朱塗りの堂々とした姿で、拝殿へと続く神域の入口を印象づけています。
楼門
楼門の左右には、神域を守護する随身像が安置されています。背面には慶長19年(1614)の銘があり、左側には「甲州河内下山住番匠 石川清助作」、右側には「大工 山城國上原住櫻井三蔵作」と記されています。
随身像は木格子の内側に安置されているため見落としてしまいがちですが、400年以上にわたって楼門を守ってきた歴史ある像です。楼門をくぐる際には、左右にも注目してみてください。
楼門は拝殿や幣殿、透塀とともに静岡県指定文化財となっています。
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扁額は聖護院入道盈仁親王の筆

楼門に掲げられている「冨士山本宮」の扁額は、聖護院入道盈仁親王(しょうごいんにゅうどうえいにんしんのう)の筆によるものです。
盈仁親王は第119代光格天皇の弟にあたり、京都の聖護院門跡を務めた皇族です。門跡とは、皇族や公家などが住職を務める格式の高い寺院、またはその住職を指します。
扁額は文政2年(1819)に制作されたもので、寺社奉行へ掲揚を願い出て許可を受けたと伝えられています。
楼門の扁額
扁額を見る際に注目したいのが、「富士山」ではなく「冨士山」と記されていることです。「富」の上部にある点がない、ワ冠の「冨」が使われています。
なぜ「富」ではなく「冨」なのかについては、いくつかの説があります。点を人に見立て、御神体である富士山の上に人を立たせないためとする説、点を神に見立て、人の目には見えない神を表したとする説、12画の「富」より11画の「冨」の方が縁起がよいとする説などが伝えられています。
いずれも由来が確定しているわけではありませんが、境内には扁額以外にもワ冠の「冨」が使われている場所があります。参拝の際に探してみるのも、浅間大社ならではの楽しみ方です。

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