拝殿 | 富士山本宮浅間大社 - 神社ファン

有名度

関脇

富士山本宮浅間大社

ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ

静岡県富士宮市宮町1-1

拝殿

更新日:2025年7月12日

荘厳な雰囲気の拝殿

浅間大社の拝殿は、徳川家康が奉賽のために造営したものです。
屋根は本殿と同様に檜皮葺で作られており、拝殿の外側と内側には伝統的な塗装方法である丹塗が施されています。
装飾や極彩色は蟇股や梁にとどまり、決して華美ではありませんが、そこが荘厳な雰囲気を醸し出しています。
拝殿
拝殿の正面は、日本建築の伝統的な屋根の形である入母屋造、背面は切妻造となっており、本殿と拝殿の間に幣殿が存在する造りとなっております。
1954年には静岡県の指定文化財に指定されました。

大宮司を継承してきた富士氏

拝殿前の賽銭箱には、浅間大社の神職を代々司ってきた富士氏の家紋「棕櫚紋(しゅろもん)」が描かれています。
棕櫚紋は富士氏の中でも当主である大宮司しか使えない特別な家紋です。
富士氏の家紋「棕櫚紋(しゅろもん)」
富士氏は浅間大社と深い関わりをもつ家系であるとともに、現在の静岡県富士宮市一帯を治める領主でもありました。戦国時代には今川家の有力武将として城主を勤める武家でもあったそうです。
第5代孝昭天皇の子孫、和邇部氏が始祖だと伝えられており、802年に浅間神社の神主を命じられてから、明治時代まで大宮司職を富士氏が継承してきました。
しかし44代目当主富士重本は、明治維新の際に江戸幕府の反対勢力であった朝廷側に加担し、官軍として駿州赤心隊を組織し戊辰戦争や上野戦争などに参加しました。そのため幕府派から敵視されてしまい、富士氏の屋敷が襲撃にあったり、宝物を強奪されたりしたそうです。
浅間大社が2000年という長い歴史を持ちながら宝物類があまり残されていないのは、そういった事情があります。
このように不穏な状況だったため、富士重本は富士宮に帰ることができず、富士氏が代々継承してきた大宮司も彼の代で終わりを告げたのです。
明治3年以降、宮司は内務省から直接任命されるかたちとなりました。
今では浅間大社の大宮司職を退いていますが、かつて富士氏は厳島神主家、熱田大宮司家とともに日本三大宮司の1つに数えられるほどの名家でした。

隠れスポットから拝殿を望む

浅間大社には、ハートの小窓から拝殿を望むことができる隠れスポットがあります。
ハートの小窓
このハートの小窓は猪の目と呼ばれる装飾で、その名の通り猪の目をモチーフとした魔除けを意味する文様です。
縁むすびのご利益もあるという浅間大社。
隠れスポットを見つけることができたら、ご利益がいただけるかもしれません。

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