有名度
関脇富士山本宮浅間大社
ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ
静岡県富士宮市宮町1-1
鉾立石
更新日:2026年9月17日
神事で使用されていた由緒ある石
浅間大社の楼門前に、しめ縄で囲まれた一つの自然石が置かれています。この石は「鉾立石(ほこたていし)」と呼ばれ、明治時代まで行われていた「山宮御神幸」という重要な神事で実際に使用されていたものです。
山宮御神幸では、浅間大神が宿るとされた鉾を浅間大社から山宮浅間神社まで運びました。神聖な鉾は直接地面へ置くことができなかったため、道中で休憩する際に鉾を置いたのが鉾立石です。
現在、山宮御神幸で使われた鉾立石は、浅間大社の楼門前に1つ、山宮浅間神社の参道に2つの計3つが残されています。
一見すると小さな自然石ですが、かつて浅間大神が里宮と元宮を往復していた歴史を現在に伝える貴重な遺物です。

山宮御神幸とは
山宮御神幸とは、浅間大社の祭神が、里宮である浅間大社と元宮である山宮浅間神社との間を往復した神事です。山宮浅間神社は、現在の地へ遷座する以前に浅間大神が祀られていた場所と伝えられています。大同元年(806)に現在の浅間大社の地へ遷された後も山宮は元宮として残り、毎年4月と11月には浅間大神が山宮へ向かう山宮御神幸が行われていました。
その歴史は古く、天正5年(1577)の『冨士大宮御神事帳』にも山宮浅間神社に関する記述が残されています。少なくとも16世紀後半までには、浅間大神の渡御に関わる神事が成立していたと考えられています。
御神幸は大祭の前日に行われ、未の刻にあたる午後2時頃に浅間大社で始まりました。
浅間大神が宿るとされた鉾は、「木之行事」と呼ばれる役職の者が左肩に担ぎます。途中で肩を替えることなく、浅間大社から約50町、現在の距離にして約5.5km離れた山宮浅間神社まで歩きました。
この神事で通った道が「山宮御神幸道」です。
長い道中では当然休憩も必要になりますが、神が宿る鉾を地面に置くことはできません。そのため鉾立石の上に鉾を置き、担ぎ手が身体を休めました。
山宮浅間神社に到着すると、大宮司をはじめとする神職らによって祭儀が執り行われ、一行は山宮に参籠しました。
そして翌朝、丑の刻にあたる午前2時頃になると還幸が始まります。
興味深いのは、深夜の山道を進むにもかかわらず、帰路では灯りを用いなかったと伝えられていることです。『浅間神社の歴史』には、深夜であっても灯火を使用しなかったことが記されています。
神が宿る鉾を奉じた一行が、灯りのない夜道を山宮から浅間大社へ戻っていく。現在の姿からは想像しにくい、古い富士山信仰の厳粛な神事が行われていました。
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御神幸道に残る首標と丁目石
山宮御神幸道には、鉾立石以外にも神事の痕跡が残されています。浅間大社の湧玉池のほとりには、「御神幸道首標」と呼ばれる石碑があります。
元禄4年(1691)に造立されたもので、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれ、浅間大社から山宮まで50町に及ぶ御神幸道の起点を示していました。
この首標はいつしか地中に埋もれていましたが、1984年(昭和59)に浅間大社境内の土中から発見され、現在地に再建されています。
また御神幸道には、1町ごとに距離を示す「丁目石」と呼ばれる道標が置かれていました。
これらも元禄4年(1691)に整備されたものですが、多くは失われたり、本来の場所から移動したりしています。そのため、現在では御神幸道の正確な全ルートは明らかになっていません。
それでも御神幸道沿いには現在も数基の丁目石が残っており、浅間大神を奉じた一行が山宮へ向かった道の一部を知ることができます。
Ennui (Wikipedia CC 表示-継承 4.0)御神幸道の起点と神幸橋
御神幸道の出発地点にあたる場所として伝えられているのが、浅間大社を流れる神田川に架かる神幸橋です。現在は石造りの橋ですが、山宮御神幸が行われていた時代には、朱塗りの柱に檜皮葺の屋根を持つ屋形橋であったと伝えられています。また、神事に関わる神聖な橋であったため、一般の人々の通行は禁じられていたとされています。
楼門前の鉾立石から神幸橋を経て、約5.5km先の山宮浅間神社へ。浅間大社と山宮を結ぶ道そのものが、山宮御神幸という神事の舞台でした。

2006年に復興された山宮御神幸
長く続いた山宮御神幸ですが、明治時代に入ると途絶え、1874年(明治7)を最後に行われなくなりました。それから130年以上を経た2006年(平成18)、浅間大社の御鎮座1200年を記念して、有志によって山宮御神幸が復興されました。
かつては浅間大社から山宮まで神の宿る鉾を人の肩で運んでいましたが、復興後の神事では鉾を軽トラックに載せて山宮の御迎坂付近まで運び、そこから神職らが列を組んで鉾を担ぎ、山宮浅間神社の遥拝所まで歩いています。
約5.5kmの道をすべて人の肩で運んだかつての御神幸とは形を変えながらも、浅間大社と山宮浅間神社を結んできた信仰は受け継がれています。
楼門前の鉾立石、御神幸道首標、道中に残された丁目石、そして山宮浅間神社の2つの鉾立石。それぞれをたどっていくと、浅間大神が里宮と元宮を往復した山宮御神幸の姿が現在の富士宮の町の中に残されていることがわかります。
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