流鏑馬祭 | 富士山本宮浅間大社 - 神社ファン

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関脇

富士山本宮浅間大社

ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ

静岡県富士宮市宮町1-1

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流鏑馬祭

更新日:2026年9月17日

800年以上続く伝統神事

富士山本宮浅間大社を代表する祭事のひとつが、毎年5月に行われる「流鏑馬祭」です。
流鏑馬とは、疾走する馬に乗った射手が弓で的を射る伝統的な騎射です。浅間大社の流鏑馬は800年以上の歴史を持ち、その起源は鎌倉幕府を開いた源頼朝にあると伝えられています。
建久4年(1193)、源頼朝は富士山麓で大規模な「富士の巻狩」を行いました。この際に浅間大社を参拝し、流鏑馬を奉納したことが現在の流鏑馬祭の始まりとされています。
流鏑馬が古くから浅間大社の重要な神事であったことは、残された史料からも確認できます。
天正5年(1577)の『富士大宮神事帳』には流鏑馬神事に関する記録が残され、江戸時代の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも祭礼の様子が記されています。時代によって祭りの形を変えながらも、富士山麓を代表する神事として受け継がれてきました。
現在の流鏑馬祭は毎年5月4日から6日にかけて開催され、5月5日の本祭を中心にさまざまな神事が執り行われます。
流鏑馬の銅像
4日の前日祭では、流鏑馬に先立って祓いや末社巡拝などが行われます。かつてから流鏑馬は単に馬を走らせて矢を射るだけの行事ではなく、射手や馬、馬場を清め、末社を巡拝する一連の祭儀として執り行われてきました。
翌5日は流鏑馬祭の本祭です。本殿で祭典が執り行われ、浅間大社の流鏑馬神事に古くから伝わる特殊神饌「甘葛」などが奉納されます。
正午からは神職や武者、稚児などが市内を練り歩く「練行」が行われます。鎌倉時代を思わせる装束をまとった一行が市街地を進む光景も、流鏑馬祭ならではの見どころです。
そして午後には、境内の桜の馬場を舞台に「小笠原流神事流鏑馬」が奉納されます。
約150mの馬場を馬が一気に駆け抜け、射手が馬上から次々と的を射抜きます。疾走する馬の蹄の音とともに矢が放たれる光景は迫力があり、流鏑馬祭最大の見どころです。
流鏑馬で射抜かれた的は縁起物として珍重され、家内安全や無病息災を願うものとして大切にされています。

富士山麓の馬とともに受け継がれた祭り

浅間大社の流鏑馬には、現在の小笠原流神事流鏑馬だけでは語り切れない歴史があります。
古くは本宮だけでなく、山宮、金之宮、富知神社、若宮八幡宮などの末社でも流鏑馬が行われていました。『富士宮の歴史 民俗編』に掲載された古来の祭式を見ると、5月5日の本宮での流鏑馬に至るまで、各地で流鏑馬や潔斎などが行われていたことがわかります。また、流鏑馬に奉仕する馬は富士宮市内だけでなく、富士市や山梨県南巨摩郡などからも集められていました。かつては地元で飼われていた馬が祭りを支え、馬を走らせることでその健康を祈る行事も行われていたと伝えられています。
こうした地域の馬文化とともに流鏑馬祭は受け継がれてきました。第二次世界大戦中や戦後の混乱期には中止された時期もありましたが、その後復活し、現在まで続いています。祭りの期間中は境内に屋台が並び、普段とは異なる賑わいを見せます。年によっては馬と触れ合える機会が設けられることもあり、2023年には馬に与えるためのカットしたニンジンも販売されていました。
また、流鏑馬祭に合わせた限定御朱印が頒布される年もあります。
最終日の6日には流鏑馬後日祭が執り行われ、3日間にわたる祭りを締めくくります。
源頼朝による富士の巻狩から800年以上。浅間大社の流鏑馬祭は、武家文化だけでなく、富士山麓で暮らしてきた人々と馬との関わりまで現在に伝える重要な祭事です。

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