相生の松 | 三嶋大社 - 神社ファン

有名度

関脇

三嶋大社

みしまたいしゃ

静岡県三島市大宮町2-1-5

😞 🙁 😐 🙂 😄

相生の松

更新日:2026年9月19日

安達藤九郎盛長が警護を行った場所

三嶋大社の大鳥居をくぐった先、たたり石の近くに「相生の松(あいおいのまつ)」があります。
黒松と赤松が一つの根から生えており、縁結び・夫婦円満・長寿の象徴として大切にされています。
この相生の松がある場所は、源頼朝の側近として活躍した安達藤九郎盛長ゆかりの場所でもあります。
相生の松 全体
治承4年(1180)、源頼朝は源氏再興を祈願するため、蛭ヶ小島から三嶋大社へ百日間、毎朝参詣したと伝えられています。その際、従者の安達藤九郎盛長がこの場所に立ち、頼朝を警護していました。
盛長がこの場所に留まった理由については、自らの身分を考えて社殿前まで進むことを遠慮したとも、神社での帯刀や乗馬が許されなかったためとも言われています。
現在も相生の松のそばには「安達藤九郎盛長警護の跡」として、その伝承が残されています。
相生の松 看板
スポンサーリンク

源頼朝の流人時代からの忠臣

安達藤九郎盛長は、頼朝が伊豆で流人生活を送っていた時代から仕えていた人物です。
盛長の妻・丹後内侍は、頼朝の乳母を務めた比企尼の娘でした。頼朝と北条政子の仲を取り持った人物とも伝えられており、頼朝がまだ大きな勢力を持っていなかった流人時代から深い関わりを持っていました。
安達藤九郎盛長国書刊行会(Wikipedia パブリック・ドメイン)
治承4年(1180)に頼朝が挙兵すると、盛長は使者として坂東の武士たちのもとを訪れ、味方を集める役割を担いました。
石橋山の戦いで敗れた頼朝が安房国へ逃れた後には、下総国の大豪族・千葉常胤のもとへ使者として派遣されています。『吾妻鏡』によれば、盛長から頼朝の意向を聞いた常胤は源氏再興への協力を表明し、頼朝に鎌倉へ向かうことを勧めました。
流人時代から挙兵後まで頼朝を支え、武士たちとの縁をつなぐ役割も果たした安達盛長。頼朝にとって、なくてはならない縁の下の力持ちのような存在だったのではないでしょうか。
頼朝に対して様々な縁をつないだ安達盛長。その盛長が警護していたと伝わる場所に、現在、縁結び・夫婦円満・長寿の象徴である相生の松が植えられているのも、不思議な縁を感じさせます。
大鳥居からすぐの場所にあるため通り過ぎてしまいがちですが、相生の松を見るだけでなく、源頼朝と安達盛長にまつわる伝承にも注目してみてください。

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

三嶋大社の人気記事

  • 三嶋大社 本殿・幣殿・拝殿の3つの建物が連なる複合社殿
    三嶋大社本殿・幣殿・拝殿

    この記事を1人が評価

  • 三嶋大社 神門
    神門

    この記事を1人が評価

  • 三嶋大社 舞殿
    舞殿

    この記事を1人が評価