相生の松 | 三嶋大社 - 神社ファン

有名度

関脇

三嶋大社

みしまたいしゃ

静岡県三島市大宮町2-1-5

相生の松

更新日:2025年7月11日

安達藤九郎盛長が警護を行った場所

大鳥居をくぐった先の右手側、たたり石の横に相生の松(あいおいのまつ)が植えられています。
黒松と赤松がひとつの根から生えており、縁結び・夫婦円満・長寿の象徴として大切に扱われています。
相生の松 全体
実はこの相生の松が植えられている場所には、源頼朝が源氏再興を願って三嶋大社に百日詣を行った際に、従者の安達藤九郎盛長が警護をしていたという言い伝えが残っています。
達藤九郎盛長は、自分の身分を卑下して社殿前に行くことを遠慮し、この場所に留まったとも、また神社での帯刀や乗馬が許されないためにこの場所に留まったとも言われます。
相生の松 看板

源頼朝の流人時代からの忠臣

安達藤九郎盛長は、頼朝が伊豆に流された当時から仕えていた人物です。
頼朝の乳母を務めていた比企尼の娘である丹後内侍を妻として迎えており、また百日詣に付き添わせていたことから、頼朝とは公私ともに強い繋がりがあったと推測されます。
安達藤九郎盛長国書刊行会(Wikipedia パブリック・ドメイン)
頼朝の妻である北条政子との仲を取り持ったのも、安達藤九郎盛だと言われています。
京の都に知り合いが多く、流人の頼朝に京の情勢を流していたと考えられており、また挙兵に当たっては使者として各地の武士を集める役割を担いました。挙兵後も下総国の大豪族である千葉常胤を説得して味方につけるなど、頼朝の為に行動し鎌倉幕府の成立に大いに貢献した人物でした。
頼朝にとって、無くてはならない縁の下の力持ちのような存在だったのではないでしょうか。
頼朝に対して様々な縁を繋いだ安達藤九郎盛長。彼の待機していた場所に、縁むすびの象徴である相生の松が植えられているのも不思議な縁を感じます。

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