武並神社 岐阜県恵那市大井町森 - 神社ファン

有名度

前頭

武並神社

たけなみじんじゃ

岐阜県恵那市大井町森1101番地

岐阜県恵那市大井町森1101番地

拝殿

takami tora(wikipedia パブリック・ドメイン)

かんたんご利益

御祭神

大己貴命 おおなむちのみこと
誉田別命 こんだわけのみこと
少彦名命 すくなひこなのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

武並系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

武並神社は岐阜県恵那市大井町に鎮座する古社で、その由緒は鎌倉時代初期にさかのぼると伝えられている。
承久2年(1220年)、茄子川・谷武内城主の新田四郎左衛門義晴と、その子で神子母城主の新田淡路守義綱が鎌倉幕府三代将軍の廟を参詣し、杉の小株3本を持ち帰って社殿の西・北・東に植え、中央に三将軍像を相殿として祀ったことが武並神社の起こりとされる。
往古の境内には七重塔や別当寺、宝蔵が存在し、社地は現在の数倍の広さを有していたと伝わる。その範囲には、現在の恵那市立恵那東中学校の敷地も含まれていたという。新田氏は伊豆国三島の神官や地元城主を招いて神務を整え、12人の禰覡と12人の巫女を置き、周辺12か村の宗社として信仰を集めたとされる。
永正8年(1511年)頃、大井町周辺の寺社は兵火により焼失したが、神像は井戸に隠されたため難を逃れたという。その後も社勢は衰退したが、天文7年(1538年)には梵鐘が寄進され、永禄6年(1563年)には遠山景任により社殿再建が命じられ、翌永禄7年(1564年)3月に完成した。当時は千手観音や十一面観音を本地仏とする神仏習合の信仰形態であったことが棟札から知られる。
天正2年(1574年)の武田勝頼による東濃侵攻では、恵那郡の寺社とともに再び兵火に遭い、社殿は焼失したと考えられている。
江戸時代に入ると、明暦元年(1655年)に尾張藩の事業により神社林が用材として用いられ、その功により黄金が下賜された。これを基に氏子らが協力し、寛文11年(1671年)から社殿修復を開始、翌年に完成させた。丹塗りであった社殿の痕跡は、現在もわずかに残っている。
現在の本殿は国指定重要文化財(建造物)として昭和38年(1963年)に指定されており、長い歴史を今に伝える社殿として高く評価されている。例祭は10月第2日曜日に行われ、道笛祭りとして地域の信仰とともに受け継がれている。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E4%B8%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/