有名度
大関諏訪大社 上社前宮
すわたいしゃ かみしゃまえみや
長野県茅野市宮川2030
溝上社・柏手社・政所社・子安社
更新日:2026年10月1日
御射山へ向かう際に参詣した「溝上社」
一の鳥居をくぐった右側に、末社である溝上社(みぞがみしゃ)があります。御室社と同様に大きな社殿はなく、石祠で造られています。御祭神は高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)で、諏訪大社の主祭神である建御名方神の母にあたる神様です。
溝上社はかつて、上社の重要な祭場である御射山へ出発する際、最初に参詣するお社でした。現在は鳥居脇にひっそりと鎮座する小さな石祠ですが、上社の古い祭祀と深く関係するお社です。
かつては水眼の清流をたたえた「みそぎの池」の中に鎮座しており、西側には「神の足跡石」と呼ばれる石もあったと伝えられています。
また武田氏が諏訪地方を支配していた時代には、山浦の南大塩郷が溝上社の造営を担当していました。

神前に供える食事を調理した「柏手社」
参道「中小路」脇の大きなケヤキの木の根元には、石祠で造られた末社である柏手社(かしわでしゃ)が鎮座しています。御祭神は不明です。古い時代には柏の葉が食物を盛る器として使われ、葉を折って飲食器として使用することもありました。そのため柏手社は、前宮の神前に供えるものや、饗宴の膳部を調理した場所であったと考えられています。
柏手社は大祝の即位とも深い関係がありました。
建武2年(1335)や応永4年(1397)の「大祝職位書留」によると、諏訪明神の現人神となる大祝は、即位に伴う神秘的な儀式を終えると、本宮へ参詣する前に柏手社で神事を行ったと伝えられています。
前宮で大祝の即位式が行われた鶏冠社や、即位した大祝がお披露目された内御玉殿とあわせて見ると、大祝が現人神となっていく一連の儀式と前宮境内との関係が分かります。
柏手社が鎮座する場所は水眼の清流に沿い、十間廊から続く通路にもあたっていました。現在はケヤキの根元に小さな石祠が残るだけですが、かつての前宮で神饌を準備し、大祝の即位に伴う神事も行われた重要な場所です。

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安産・子育ての神様をお祀りする「子安社」
本殿からみると左手、手水舎の前の道を右手に進むと末社である子安社(こやすしゃ)があります。御祭神は高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)です。諏訪大神・建御名方神の母神にあたり、古くから縁結び・安産・子育ての守護神として信仰され、「お子安様」とも呼ばれ親しまれてきました。
子安社には安産を願って、底の抜けた柄杓を奉納する独特の信仰があります。柄杓の底が抜けていれば水がつかえることなく流れ落ちることから、それと同じように軽々と無事に出産できるようにとの願いが込められています。
前宮境内では溝上社にも同じ高志沼河姫命がお祀りされていますが、子安社では特に安産や子育ての神様として信仰されています。
例祭は12月22日に行われています。

所末社
末社である政所社(まんどころしゃ)は、子安社の向かいに鎮座しています。ただし政所社は急斜面の山道のような場所を奥へ進んだところにあり、石祠で鎮座しています。政所社は古く「所末戸社(ところまつどしゃ)」「所政社(ところまっしゃ)」とも記されました。
古書には、春と秋の年2回、非常に盛大な祭りが行われていたと記されています。しかし江戸時代になると、その祭りは完全に廃れてしまったと伝えられています。
かつて旧暦3月末日には稲の穂を積み上げ、その上に鹿皮を敷いて大祝の座とし、仮屋を設けて神事が行われていました。
さらに政所社は、大祝が定まって参詣する13社のうち「第一」とされていました。現在は斜面の奥に小さな石祠が残るだけですが、かつては大祝の祭祀において非常に重要なお社であったことが分かります。
また古くは上伊那の藤沢郷が社殿の造営を担当していました。
御祭神は素盞嗚尊と大己貴命とされています。
現在の姿だけを見ると見過ごしてしまいそうな小さなお社ですが、かつて盛大な祭礼が行われ、大祝が参詣する重要な場所であった歴史を知ってから訪れると、前宮のかつての姿をより深く感じることができます。
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