神殿跡 | 諏訪大社 上社前宮 - 神社ファン

有名度

大関

諏訪大社 上社前宮

すわたいしゃ かみしゃまえみや

長野県茅野市宮川2030

神殿跡

更新日:2025年7月7日

大祝が住んでいた居館の跡地

社務所の横では、なだらかな斜面に青々と茂った木々を見ることができます。ここは神殿(ごうどの)跡と呼ばれる史跡であり、かつて大祝(おおほうり)の居館が設けられていた場所でした。
神殿跡Saigen Jiro(CC0)
この地には大祝の始祖とされる有員(ありかず)の時より居館が設けられており、そこを中心に「高神殿」「中部屋」「酒倉」「馬屋」などが建てられていました。大祝は神と同一視されていたことから、その居館は神殿、周辺は神原(ごうばら)と呼ばれたそうです。神原では重要な建物が数多く設けられており、また多くの祭事も行われていました。大祝は祭政両権を有していたことから、諏訪地方の政治の中心地でもあったそうです。
しかし残念なことに、1483年に起こった同族内論争いによってこの地が汚されてしまい、やがて衰退していったと言われています。

上社大祝諏方家の住宅

かつては前宮境内に設けられていた大祝の居館ですが、現在は諏訪市中洲に移動しています。前宮より車で5分程離れた場所に建っており「大祝邸」や「大祝諏方家住宅」とも呼ばれています。
なぜ遷されたのか経緯は残されておらず、また時期に関しても諸説あるためはっきりとはわかりませんが、おそらく安土桃山時代には現在の地に移転していたと考えられています。
その後、江戸時代に入り藩主「諏訪家」と大祝「諏方家」ができ、政教分離がなされました。
上社大祝諏方家の住宅Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
江戸時代後期の1830年に大祝邸は焼失してしまいましたが、その後1830年から1844年の間に再建されました。当時は約3,000坪の敷地に約320坪の主屋が建てられ、2棟の土蔵に別荘、御祈祷殿、出産や月経期間に女性が籠る「たや部屋」など、別棟まで揃った広大な規模を誇る邸宅だったと言われています。
しかし時代が進むにつれ敷地と主屋は次第に失われていき、昭和初期には主屋が約80坪に縮小され、居室として使用していた棟に玄関をとりつけた形になりました。現在はさらに縮小し、主屋は約43坪、居住部分に江戸時代からの玄関を移築し取り付けた姿になっています。
規模は縮小されてしまいましたが、敷地内には江戸時代後期の建物である表門や、諏訪大社の神紋と同じ梶紋が施された土蔵、諏訪市の天然記念物である、樹齢200年のイチョウなどの見どころが残されています。
家紋Mukai (Wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かつて諏訪信仰の中心人物であった大祝ですが、直系は途絶え、かつて賑わっていたであろう邸宅はひっそりと静まり返っています。
ぜひ大祝邸にも訪れて、歴史の移り変わりを体感してみてください。

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