上社宝物殿 | 諏訪大社 上社本宮 - 神社ファン

有名度

大関

諏訪大社 上社本宮

すわたいしゃ かみしゃもとみや

長野県諏訪市大字中洲字宮山1

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上社宝物殿

更新日:2026年9月30日

諏訪大社の御神宝が納められた宝物殿

諏訪大社は古来、朝廷をはじめ多くの武将から篤い崇敬を受けてきました。坂上田村麻呂は東国第一の軍神として崇め、源頼朝や武田信玄、徳川歴代将軍、諏訪高島藩主なども社領を寄進し、御神宝を奉納して武運長久や国土安泰を祈願したと伝えられています。
こうした長い歴史の中で諏訪大社に伝えられてきた御神宝の一部を見ることができるのが「上社宝物殿」です。
上社宝物殿は境内の南側、勅願殿のすぐ隣に建っています。館内には古代から伝わる神器や御神宝をはじめ、武将による社領寄進状や祈願奉納品など、諏訪大社の長い歴史を伝える品々が収蔵・展示されています。
諏訪大社では上社本宮と下社秋宮にそれぞれ宝物殿があり、両方を拝観できる共通券も用意されています。上社本宮の社殿を巡るだけでは分からない、諏訪信仰の歴史を実際の神宝から知ることができる場所です。
上社宝物殿

誓約に使われた「サナギの鈴」

宝物殿に伝わる神宝の中でも、諏訪独特の信仰を伝えているのが「サナギの鈴」です。
「御宝鈴」「大鈴」とも呼ばれる鉄製の鐸で、神と人との契りを結ぶ誓約の鈴として、土地の境界や戦の和睦など、重要な誓いを立てる際に使用されてきました。ミシャグジ神の祭祀とも深く関わり、上社の祭祀を担った守矢家に伝えられた重要な祭具のひとつとされています。
厚さ約3ミリの鉄板をメガホン状に巻いた鉄鐸で、上部に横棒を通し、内部には鉄の舌が吊るされています。それを6個ずつ連ねたもので、鈴の大きさは大小不同。高さ約15~19センチ、上径約2.4~4センチ、下径約4.5~6センチで、現存するものは3組とされています。
春にはサナギの鈴を杖の先に結び付けた神使たちが信濃国内を巡り、鈴を鳴らして神事を行ったと伝えられています。
この鈴が歴史上の重要な場面で使用された記録も残されています。
天文4年(1535)、甲斐の武田信虎と諏訪頼満が和睦した際には、神長の守矢頼真が境界の確認と和議の誓約に立ち会い、サナギの鈴を振ったことが古文書に記されています。
現在の祭事では使われていませんが、人と神との契約だけでなく、戦国時代の武将同士の誓約にも用いられたサナギの鈴は、かつての諏訪信仰を今に伝える貴重な神宝です。
佐奈伎鈴(鉄鐸)Miyachi, Naokazu(Wikipedia パブリック・ドメイン)

前宮の御神鏡「麟鳳瑞花八稜鏡」

もうひとつ注目したいのが「麟鳳瑞花八稜鏡(りんぽうずいかはちりょうきょう)」です。
もともと前宮の内御玉殿に祀られていた御神鏡と伝えられ、祭事の拠点が本宮へ移されるまで前宮で大切に祀られていました。
長径約25センチ、厚さ約1センチの白銅製の八稜鏡で、中央の獣形のつまみを中心に麒麟と鳳凰が交互に表されています。その間には大小の瑞花や雲形が配された美しい意匠をもち、奈良時代に作られた和鏡とされています。
天正10年(1582)、甲州征伐によって本宮が織田軍の兵火に遭った際には、御神輿とともに御神宝類が守屋山へ避難させられ、その混乱の中で麟鳳瑞花八稜鏡も失われたと考えられています。
それから200年以上が経過した寛政12年(1800)、上社近くの高部の山中から八稜鏡が発見されました。
伝承では、子供が山中から掘り出した鏡を名主へ届け、さらに高島藩へ差し出したところ、諏訪大社に伝わっていた鏡であると考えられ、藩主から神社へ寄進されたとされています。
一度失われながら、長い年月を経て再び上社へ戻ったという数奇な歴史をもつ御神宝です。
宝物殿にはこのほかにも、建御名方神の象徴であり諏訪信仰を代表する神器である薙鎌、名刀「梨割の太刀」、武将からの社領寄進状など、諏訪大社の長い歴史を物語るさまざまな品が収蔵・展示されています。
上社本宮の社殿を巡ったあとに宝物殿を訪れると、古くから続く祭祀や武将との関係、諏訪独自の信仰を実際の神宝を通して知ることができます。

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