本殿がない「諏訪造り」の社殿 | 諏訪大社 上社本宮 - 神社ファン

有名度

大関

諏訪大社 上社本宮

すわたいしゃ かみしゃもとみや

長野県諏訪市大字中洲字宮山1

本殿がない「諏訪造り」の社殿

更新日:2025年7月7日

幣拝殿・左右片拝殿・脇片拝殿

諏訪大社上社本宮の拝殿や幣殿は通常は近づくことができません。また幣拝殿の前に広がる石畳は斎庭(ゆにわ)にと言い、こちらも特別な場合のみ入ることが許される場所です。そのため、普段は斎庭を隔てて建つ拝所から参拝することになります。
拝殿Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
諏訪大社上社本宮の拝殿は「諏訪造り」と呼ばれる建築手法を用いて建てられています。拝殿の後ろに幣殿が並び、その左右に片拝殿が伸びる造りの社殿で、屋根は檜皮葺の工法で葺かれており、拝殿の正面は丸みが特徴の向唐破風造りです。社殿は北西向きに鎮座していて最大の特徴は本殿がないことです。
拝殿Saigen Jiro(wikipedia CC0)
片拝殿の右側は左片拝殿、左側は右片拝殿です。どちらも桁行正面二間背面三間・梁間二間で切妻造りです。
片拝殿Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
山を背にした建物は脇片拝殿と言います。桁行三間・梁間一間で切妻造りです。
脇片拝殿Saigen Jiro(Wikipedia CC0)
以前の本宮の社殿類は極彩色ゆたかな建造物でしたが、1582年に織田信長の軍勢によって焼き払われてしまいました。その後1584年に仮殿が造られ、1617年には地元の宮大工によって再建されたそうです。そのさらに約200年後に諏訪藩主によって社殿の改築が行われました。改築に際しては二代目立川和四郎富昌が、次男の富種や地元神官寺の宮大工五左衛門親成と共に、8年もの歳月をかけ1838年に落成したものです。立川流の代表的建築物と言われています。
1983年には、拝殿、幣殿、左右片拝殿、脇片拝殿ともに国の重要文化財に指定されました。
また立川流によって施された繊細な彫刻類も、特徴のひとつと言えるでしょう。
拝殿の彫刻
正面にある幣拝殿には「龍」や「雲」片拝殿には「笹に鶏」「粟穂に鶉」の彫刻が施されています。特に「笹に鶏」「粟穂に鶉」は立川流の最高傑作ともいわれています。また、拝殿下に施された「波と千鳥」の彫刻は、立川家の家紋のごとき殊芸とも言われるほど、素晴らしいと評判です。

御祭神・ご利益

諏訪大社上社本宮の御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)です。古事記に登場し、父は大国主命で国譲りの話ではタケミカヅチに敗れ、諏訪まで逃げた神様となっていますが、諏訪地方では古くから祀られ崇められています。諏訪では建御名方神は農耕神・狩猟神・風の神として信仰されていました。また狩猟などで弓矢など武具を扱う関係上、武神・軍神しても信仰されていました。全国的に武神・軍神として広がったのは、鎌倉時代に起きた元寇です。日本は神風が吹いて蒙古軍を追い返したとされていますが、この神風を起こしたのは風の神でもある建御名方神とされ、鎌倉時代以降は北条家をはじめ、多くの武家に武勇の神とされ信仰されました。
そのため諏訪大社上社本宮では「勝負運」のご利益が有名で他にも「五穀豊穣」のご利益が有名です。
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旧幣拝殿を移築した「乙事諏訪神社」

長野県富士見町に鎮座する乙事諏訪神社の幣拝殿は、1617年に造営された本宮の幣拝殿を移築したものになります。桃山時代の代表的建築物として昭和5年に国の重要文化財に指定された、大変貴重な建物です。
その昔、乙事諏訪神社は上社と下社に分かれており、旧幣拝殿は上社に移築されました。昭和23年、上社にて火災が起こり片拝殿、本殿などが焼失しましたが、幸いにも幣拝殿は全焼を免れました。その跡地に上社と下社が合併し現在の乙事諏訪神社となったそうです。かつての諏訪大社の面影を忍ぶことができる幣拝殿。本宮からは車で30分ほどの距離に位置しているため、ご興味のある方はこちらの神社にも訪れることおすすめします。

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