有名度
大関諏訪大社 上社本宮
すわたいしゃ かみしゃもとみや
長野県諏訪市大字中洲字宮山1
東宝殿・西宝殿
更新日:2026年9月30日
本宮にとって最も重要な宝殿
東参道から布橋を進んだ境内のほぼ中央には、「東宝殿」と「西宝殿」が並んでいます。二殿のうち向かって左側が東宝殿、右側が西宝殿です。上社本宮には一般的な神社のような本殿がありません。そのなかで東西の宝殿は本宮で最も大切な社殿とされ、一般の神社の本殿に相当する建物とされています。
宝殿には諏訪大神の御神輿や御神宝が納められています。
建物は華美な装飾を施したものではなく、茅葺屋根と素木を主体とした簡素な姿が特徴です。江戸時代の華麗な彫刻が施された社殿も多い本宮のなかで、東西宝殿は素朴で古風な姿を見せています。
御柱祭に合わせて交互に建て替えられる宝殿
東宝殿と西宝殿は、寅年と申年に行われる式年造営御柱大祭に合わせ、6年ごとに一方を交互に建て替えます。つまり、それぞれの宝殿から見ると12年ごとに新しく造営されることになります。新しい宝殿が完成すると、それまで御神輿や御神宝が納められていた宝殿から新しい宝殿へ遷す「宝殿遷座祭」が執り行われます。

このため、東西に並ぶ二つの宝殿は同時期に建てられたものではなく、造営時期に6年の差があります。建て替え直後であれば、茅葺屋根などを見比べることでその違いも確認できます。

現在は新しく造営した宝殿へ遷座しますが、室町時代の記録には異なる形が伝えられています。当時は宝殿を新築してから6年間風雨にさらした後に遷座し、それまで使用していた宝殿を解体して新築していたとされます。その後、現在のように祭典に合わせて宝殿を造営し、新しい宝殿へ遷座する形へと変化しました。
巨大な御柱を曳き、社殿の四隅に建てることで知られる御柱祭ですが、正式名称が「式年造営御柱大祭」であるように、社殿の造営も祭りの重要な要素です。東西宝殿の建て替えと遷座は、御柱の曳き建てとともに受け継がれてきた重要な神事です。
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諏訪の七不思議「宝殿の天滴」
東西宝殿には、古くから不思議な伝承が残されています。宝殿の屋根からは、どれほど日照りが続いても最低三滴の水滴が落ちると伝えられています。
これは「宝殿の天滴」と呼ばれ、「諏訪の七不思議」のひとつに数えられています。
諏訪大社では、この宝殿の天滴を、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される由来のひとつとしています。
宝殿を見る際には建物全体だけでなく、茅葺屋根にも注目です。本宮で最も重要な社殿であると同時に、諏訪に古くから伝わる不思議な伝承の舞台でもあります。
宝殿遷座祭
上社本宮の宝殿遷座祭は、御柱祭が行われる年の6月15日に執り行われます。近年の遷座祭では、神事に先立って清祓池前で儀式が行われ、その後、神職が四脚門前の階段から布橋へ進みます。
旧宝殿からは神鏡をはじめ、弓、薙鎌、太刀、鉾などの御神宝が神職の手によって運び出され、新しい宝殿へと遷されます。
続いて御霊代を乗せた御神輿が神職によって担がれ、雅楽が奏でられるなか新しい宝殿へと進みます。新宝殿では鎮座の祭儀が行われ、御霊代と御神宝が新たな宝殿に納められます。
平成28年(2016)の宝殿遷座祭では西宝殿から新築された東宝殿へ、令和4年(2022)には東宝殿から新築された西宝殿へ遷座しました。
御柱祭では豪快な木落しや御柱の曳き建てが広く知られていますが、御霊代を新しい宝殿へ遷す宝殿遷座祭も、式年造営御柱大祭を締めくくる重要な神事のひとつです。
新たな社として受け継がれる旧宝殿
式年造営によって役目を終えた宝殿は、ただ取り壊されて失われるわけではありません。古い宝殿やその用材は、周辺の摂社・末社・分社などの社殿や補修用材として再利用されてきました。御柱祭によって本宮での役目を終えた社殿が、別の場所で再び神社建築として使われることがあります。本宮の境内西側、参集殿の裏手に鎮座する大国主命社も、旧御宝殿を移築した社殿です。御祭神は建御名方神の父神にあたる大国主命で、本宮で役目を終えた宝殿が境内社として現在まで受け継がれています。

6年ごとに東西いずれかの宝殿を造営し、御霊代を新しい宝殿へ遷す。そして役目を終えた宝殿や用材も別の社へと受け継いでいく。東宝殿と西宝殿は、諏訪大社で長く続けられてきた式年造営の伝統を現在に伝える重要な建物です。
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