本宮の中で最も古い建築物 四脚門 | 諏訪大社 上社本宮 - 神社ファン

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長野県諏訪市大字中洲字宮山1

本宮の中で最も古い建築物 四脚門

更新日:2025年7月7日

本宮最古の建造物

入口御門から布橋を進んだ先、東宝殿と西宝殿の間に四脚門(しきゃくもん)が建てられています。1608年に徳川家康が家臣の大久保長安に命じて、国家の安泰を祈願し造営寄進したものです。当時の本宮は、織田信長の甲州征伐により社殿類が焼き払われており再建の真っ只中でした。家康は本宮の復興と保護に力を入れていたと言われています。
四脚門
四脚門の屋根は切妻造で、サワラの薄板を使ったこけらぶきで葺かれています。木材を縦にはめた連子付き板戸には諏訪大社の神文が施されており、格式の高さを伺い知ることができます。かつては大祝が硯石と呼ばれる磐座に上る際に使用したそうです。現在は重要な祭事が執り行われる時のみ開かれます。1983年には国の重要文化財に指定されました。別名「勅使門」と言われており、本宮の中で最も古い建築物です。

甲州征伐と本能寺の変の関係

甲州征伐とは、1582年に織田信長と徳川家康、北条氏政が、武田勝頼の領国である甲斐・信濃・駿河・上野へ侵攻し攻め滅ぼした一連の戦いのことです。武田征伐とも言われています。本宮が焼き払われたのも、この戦いの最中になります。
実はこの甲州征伐は、明智光秀が本能寺の変を起こすきっかけになったとも言われております。
当時、信長は法華寺に本陣を置いており、武田氏を滅ぼしたあとはこの地で論功行賞を行いました。その際光秀は信長の怒りを買い、他の家臣の前で折檻されたそうです。これによって光秀は信長に恨みを持ち、それが本能寺の変を起こすきっかけのひとつになったと言われています。
織田信長、徳川家康、明智光秀が訪れたであろう法華寺は表参道側の大鳥居から歩いて1分程度の距離に建っています。
光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのか他にも多くの説が語り継がれており、ご紹介した説は一説にすぎません。
真相は明らかにされていませんが、法華寺に訪れ当時に思いをはせるのもいいかもしれません。
法華寺

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