戸隠山 公明院(戸隠古道) | 戸隠神社 中社 - 神社ファン

有名度

大関

戸隠神社 中社

とがくしじんじゃ ちゅうしゃ

長野県長野市戸隠3506

戸隠山 公明院(戸隠古道)

更新日:2025年7月5日

公明院

中社と奥社を繋ぐ戸隠古道の途中には、公明院が建っています。戸隠最後の修験道行者「姫野公明師」が建てたお堂で、知る人ぞ知るパワースポットとして人気のある場所でもあります。
戸隠古道沿いに見える光明院
公明師は1898年(明治31年)に現在の大分市湯布院に生まれ、17歳で仏門に入りました。その際に明治天皇叔母宮尼公より剃髪を賜ったそうです。中国にて修行後、1941年(昭和16年)に戸隠山に入峯しました。戸隠信仰遺跡の発掘にも貢献したと言われています。
光明院
公明院には、拝殿の天井に描かれた龍の天井絵や、公明師が立案した世に類をみない珍しい建物である「五角堂」、など沢山の見どころがあります。また公明院墓地から眺める戸隠山は大変美しいと人気です。
五角堂

釈長明火定の地

公明院の境内には「釈長明火定の地」と呼ばれる場所があります。平安時代に存在した戸隠山の住僧で、法華経信者だった釈長明の「火定」(かじょう)の跡だと言われています。永保年間(1081年から84年)、長明は25歳から一度も横にならず、さらに無言で過ごす行を続けました。最後は火の中に身を投げ入れ、生きながら焼かれて死ぬ火定を行ったと伝わります。火定を行うことで、弥勒菩薩のいる浄土「兜率天」や「極楽往生」へと上ることを願うのだそうです。現在その跡地には石碑が立っており、当時を忍ぶことができます。
釈長明火定の地

日本六十六社一の宮

公明院の境内には「日本六十六社一の宮」と呼ばれる、祠がずらりと並んだ場所があります。
1811年、戸隠栃原に建つ大昌寺に、和尚瑞応は長明と自分の両親の冥福を祈るため法華経六十六部を写経し、箱に入れて地中に埋めたのだそうです。その場所に法華経六十六部供養塔を建て、周りには日本66国に置かれた一の宮を一基ずつ安置しました。66ヵ所の霊場をその国の一の宮と見立てており、ここに参拝すれば、66国すべてを廻ったことになると言われています。
日本六十六社一の宮

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

戸隠神社 中社の人気記事