有名度
大関戸隠神社 中社
とがくしじんじゃ ちゅうしゃ
長野県長野市戸隠3506
戸隠神社 宝物館
更新日:2025年7月5日
戸隠の歴史を知ることができる宝物館
中社境内の東側に建っている青龍殿には、戸隠信仰にまつわる史料や宝物が収蔵された宝物館が併設されています。かつて霊場として名をはせていた戸隠について、展示品を通しながら学べることが特徴です。
通天牙笏と紙本墨書法華経残闕
宝物館には数々の貴重な品が展示されていますが、特に有名なの物が2点あります。ひとつめは通天牙笏(つうてんげしゃく)です。通天とは「天に届くほど立派」であることを表し、牙笏は「官人が公式行事などで手に持つ薄い板」のことを指します。アフリカ象の牙を素材とした、奈良時代に作られた牙笏です。691年、都では天候異変が起こったため、持統天皇が「信濃の諏訪・水内の神」に天候回復を祈らせたと伝えられています。この「水内の神」が戸隠神社だと言われており、これに関する奉納品なのだそうです。日本に6枚しかないと言われる大変貴重な品であり、1966年には長野市の重要文化財に指定されました。現存するものは、奈良の正倉院に3枚、法隆寺から東京国立博物館に移動したものが1枚、大阪の河内道明寺天満宮に伝わる菅原道真の遺品の中に1枚、そして戸隠神社が所有する1枚の合計6枚です。正倉院の「通天笏」と大きさがほぼ同じの同型になります。よく見ると一部欠けた箇所があり、実はそこは漢方薬にしたのだそうです。
ふたつめは、紙本墨書法華経残闕(しほんぼくしょほけきょうざんけつ)です。別名「一字宝塔法華経残巻(いちじほうとうほけきょうざんかん)」とも呼ばれています。
平安時代後期に貴族の間でよく行われていた写経の装飾経で、筆者は能筆家の藤原定信です。全4巻保管されています。装飾経は藤原道長の時代に最も盛んに作られたと言われています。この頃の日本は天変地異などで世の中が不安定であり、末法思想が流行しました。時代がもたらす無常観を癒すため、そして救いを求めるために、貴族や後宮の女房達は法華経二十八品を書写したそうです。
この紙本墨書法華経残闕には、縦に8基、横に30基の多宝塔が雲母刷(きらずり)されており、1基ごとに一字ずつ法華経が書かれています。多宝塔とは、多宝如来を安置した塔です。また雲母刷りとは、版木に膠(にかわ)でといた雲母の微粉を塗り、紙をあてて模様を刷り出す技法のことで、紙に移すとキラキラした模様が現れるのが特徴です。
江戸時代にはこの一部を切り離した「戸隠切れ」というものが出回り、断簡(だんかん)として古筆家の間で分蔵されてきた歴史を持ちます。1934年には国の重要文化財に指定された、大変貴重な品です。

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