山梨岡神社 笛吹市 - 神社ファン

有名度

前頭

山梨岡神社

やまなしおかじんじゃ

山梨県笛吹市春日居町鎮目一六九六

山梨県笛吹市春日居町鎮目一六九六

拝殿

さかおり(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 安全
山梨岡神社には

「仕事系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

諸産業守護 海上安全

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

三島・大山祇系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

山梨岡神社は山梨県笛吹市に鎮座する神社。御祭神は大山祇命、高龗神、別雷神の3柱をまつる。
社格は式内社の論社であり、旧郷社。
山梨岡神社の起源は、御室山を神体とする古い山岳信仰に遡るとされ、山名は大和国の御諸山(三輪山)と同義で「神霊の宿る山」を意味すると伝えられている。文化11年(1814年)編纂の『甲斐国志』には、御室山が国難の前兆として鳴動したという記事も残されている。社伝によれば、崇神天皇の時代に疫病平癒を祈って御室山に3柱の神を祀り、成務天皇の頃に山麓へ遷座して地名を「山梨岡」と称したという。境内に残る「郡石」は、この地が古代の山梨郡山梨郷に比定される根拠とされている。神社周辺には古墳や積石塚、古代寺院跡が点在し、甲斐国成立後には初期国府や山梨郡家が置かれたと考えられるなど、古代から政治・文化の要地であったことがうかがえる。戦国時代には武田氏の崇敬を受け、毎年使者が参向したと伝わるが、武田氏滅亡後には橋立明神(現・甲斐奈神社)との社職をめぐる争論が生じ、一時はその支配下に入った。のちに天正10年(1582年)に徳川家康が祢宜職を復し、翌天正11年には神領4貫803文が改めて安堵された。江戸時代に入ると、慶安元年(1648年)に8石余の朱印地が与えられ、山林竹木の諸役免除とともに歴代将軍からの保護が続いた。明治5年(1872年)には郷社に列し、地域の重要な神社として現在まで崇敬が続いている。
山梨岡神社では春秋2季の祭礼が行われ、かつては3月と11月の初午の日に御室山への神輿渡御が実施されていたと『社記』に記されている。現在の例祭は4月4日と10月15日に斎行され、春の例大祭では4月4・5日の2日間にわたって太々神楽が奉納される。この神楽は「武田信玄出陣の神楽」とも呼ばれ、戦勝祈願として武田軍が奉納したことに由来すると社伝に伝えられる。
太々神楽は延宝3年(1675年)頃に春祭での奉納が定着したとみられ、1967年には山梨県無形民俗文化財に指定された。演目は天の岩戸神話を中心とした出雲神楽系で、24種類の舞が今日まで受け継がれている。構成は「四方舞」「斎場の舞」などの祓いの舞から始まり、正午には中心演目である「天の岩戸の舞」、最後は祭神を象徴する「大山祇命の舞」で締めくくられる。舞子は基本的に男性だが、「天鈿女命の舞」と「薙刀両剣の舞」は少女が舞い、終曲の「大山祇命の舞」は舞子長が務める決まりとなっている。また、第20曲の「四剣の舞」は久米舞に由来しており、「久米舞」とも呼ばれている。
  • 郷社
  • 式内社(小 論社)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 隅木入春日造杮葺
拝殿 入母屋造平入桟瓦葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/