伊須留岐比古神社 - 神社ファン

有名度

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伊須留岐比古神社

いするぎひこじんじゃ

石川県鹿島郡中能登町石動山子1−1

石川県鹿島郡中能登町石動山子1−1

拝殿

越山賀水(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 健康
伊須留岐比古神社には

「健康系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

病気平癒 無病息災

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

石動系

です。
他に 「白山系」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

伊須留岐比古神社は石川県鹿島郡中能登町に鎮座する神社。御祭神は伊須留岐比古神、白山比咩神の2柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
伊須流岐比古神社の起源は非常に古く、養老元年(717年)ごろに創建されたと伝えられており、古代から続く古社である。さらにこの社は古く『延喜式』にも名を連ねた延喜式内社のひとつであったとされる。石動山(標高約565メートル)は古来より山岳信仰の霊地とされ、多くの堂塔伽藍や修行場を擁する宗教的拠点であった。中世には、「五社大権現」とも称され、山頂の本社(大宮・白山宮など)を中心に、梅宮(天目一箇命を祀る)、火宮(大物主神または迦具土命)、剣宮(市杵島姫命または別神)など複数の権現を含む信仰体系が形成され、多数の別当寺坊と衆徒を抱えていたという。しかし南北朝期以降、度重なる兵乱により堂塔伽藍は焼失し壊滅状態となった。これを受けて興国二年(1341年)に再興が試みられたが、その後も戦国の争乱の中で再び焼失を経験している。戦国末期、加賀藩主らの庇護のもと復興が図られ、江戸時代には石動山天平寺という山岳寺院として栄え、多くの修験者や僧兵を抱える大規模な宗教勢力となっていた。しかし明治元年(1868年)の神仏分離令により寺院要素は排され、当社は神社として存続、明治期に郷社に列した。この過程で、かつて山頂にあった大宮・白山宮など複数の本社が合祀され、現在の社殿が整備された。
本殿および拝殿は、昭和42年(1967年)10月2日に石川県の県指定文化財に指定されている。
  • 二宮(能登国)
  • 郷社
  • 式内社(小)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 入母屋造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%A0%88%E6%B5%81%E5%B2%90%E6%AF%94%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE
石川県神社庁
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/