有名度
関脇大山阿夫利神社
おおやまあふりじんじゃ
神奈川県伊勢原市大山355
本社 御祭神・ご利益
更新日:2026年8月25日
御祭神・ご利益
大山山頂の本社には、大山阿夫利神社の主祭神である大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)が祀られています。大山祗大神は山を司る神様であるとともに、水や産業、海運を守護する神として信仰されています。また、娘神の木花咲耶姫命に酒を造って献じた神話から、酒造の祖神としても崇敬されています。
大山は相模平野からひときわ高くそびえ、相模湾を航行する船からもよく見えるため、古くは海上を行き交う人々にとって目印となる山でもありました。そのため大山阿夫利神社は、農業に携わる人々だけでなく、漁業や海運に携わる人々からも信仰を集めてきました。
また、大山は相模湾から流れ込む湿った空気の影響を受けて山上に雲や霧が生じやすく、古くから「あめふり山」「雨降山」と呼ばれてきました。雨は農作物の生育に欠かせないことから、雨を降らせる「祈雨」、長雨を止める「止雨」、五穀豊穣を願う霊山として篤く信仰されました。
こうした信仰は現在にも受け継がれ、大山祗大神の御神徳から五穀豊穣、商売繁盛、産業発展、海上安全など、幅広いご利益を願って参拝されています。

石尊大権現
明治時代の神仏分離以前、大山は神道と仏教、修験道が融合した神仏習合の霊場として栄え、山頂では「石尊大権現」が信仰されていました。「石尊」の名は、大山山頂にある自然の巨石に由来します。山頂に突出する大石そのものが神聖視され、石尊大権現として祀られてきました。現在も「石尊さま」の名は大山に残されており、下社の「茶寮 石尊」の名称も、この大山信仰に由来しています。
石尊大権現は、大山そのものに対する古くからの山岳信仰に仏教や修験道が融合して成立した神仏習合の神で、十一面観音を本地仏とします。江戸時代には大山寺とともに大山詣りの信仰の中心となり、関東各地から組織された大山講の人々が山頂を目指しました。
明治時代の神仏分離によって大山寺と阿夫利神社は分離され、石尊大権現に代わって大山祗大神を祀る現在の形となりました。しかし、「石尊」の名や大山講、納太刀など、神仏習合時代に育まれた大山信仰は現在にもさまざまな形で受け継がれています。

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本社
大山阿夫利神社の創建は、社伝では崇神天皇の時代、紀元前97年頃と伝えられ、2,200年以上の歴史を持つとされています。一方、大山山頂からは縄文時代の土器も発見されています。これは神社の創建年代を示すものではありませんが、社伝上の創建よりもはるか以前から人々が標高1,200mを超える山頂まで登り、大山を特別な場所として意識していたことをうかがわせる資料です。
大山は、山そのものを神聖な存在として崇める山岳信仰の舞台となり、のちに石尊大権現を祀る神仏習合の霊場として発展しました。そして明治時代の神仏分離を経て、現在は大山祗大神を祀る本社が山頂に鎮座しています。

下社から登拝門をくぐり、一丁目から二十八丁目まで続く表参道を約90分かけて登った先にあるのが、この山頂の神域です。大山を麓から仰いで信仰するだけでなく、実際に山へ登って神前に至るという、古くからの大山信仰を現在も体験できる場所です。

かながわの景勝50選
標高1,251.7mの大山山頂は、神奈川県の「かながわの景勝50選」に選ばれた眺望の名所でもあります。山頂からは眼下に相模平野が広がり、その先に相模湾を一望できます。天候や空気の状態に恵まれれば、江の島や三浦半島、房総半島、伊豆大島、横浜方面や東京都心の高層ビル群まで見渡せます。
中腹の下社から望む景色も「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で2つ星を獲得していますが、標高約700mの下社と標高1,251.7mの山頂では眺望が大きく異なります。山頂からの景色は、長い登山道を歩いて本社まで登拝した人だけが楽しめる大山の絶景です。山頂には広場や売店もあるため、本社を参拝した後は、雄大な景色を眺めながら休憩することができます。

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