谷保天満宮に建つ数々の碑 | 谷保天満宮 - 神社ファン

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谷保天満宮

やぼてんまんぐう

東京都国立市谷保5208

谷保天満宮に建つ数々の碑

更新日:2025年10月24日

谷保天満宮の境内には多くの碑が建てられています。ここでは、それぞれの碑について順に紹介していきます。

慰霊碑

御社殿右側に位置する碑は、1956(昭和31)年に建立されました。表には「慰霊碑 本田定弘書」、裏には戦争の犠牲となった国立町民292名の名前、そして「人間がたがいに信じあい愛しあうこころの花束をつつしんでここにささげる」と彫られています。
慰霊碑

彰功碑

日露戦争時に谷保村から従軍した56名を讃える碑は、1906(明治39)年に建立されました。篆額は陸軍大将・乃木希典氏の書、彰功文の撰文と所は、書家・本田定年によるものです。裏には個人の氏名が彫られています。国立市内にある戦争関連の碑は、社務所の隣に建つこの碑と境内の慰霊碑のみです。
彰功碑

菅公千年祭碑

彰功碑の隣に建つ碑は、1902(明治35)年、菅原道真公薨去1,000年を記念し建てられました。
菅公千年祭碑

有栖川宮威仁親王殿下台臨記念碑

1908(明治41)年8月1日に行われた、日本初のドライブツアーの目的地は谷保天満宮でした。先導の有栖川宮威仁親王殿下をはじめとする御一行は、到着後に交通安全祈願をされ梅林で立食。その後無事御帰宅されました。
この碑は、有栖川宮威仁親王殿下が台臨された記念として建立されました。裏には、明治41年8月1日と彫られています。
有栖川宮威仁親王殿下台臨記念碑

山口瞳文学碑

国立市に居を構えていた作家・山口瞳氏はよく境内を散歩しており、著書「わが町」にも谷保天満宮と梅林のことが記されています。氏は毎年梅の花が咲くと、この碑の場所で宴を催していました。碑は1997(平成9)年、国立出身の彫刻家・関頑亨(せきがんてい)により建立されたものです。
山口瞳文学碑

孝林道人詩碑

谷保にある南養寺の22世、孝林碩慶(孝林道人)の七言絶句と、略歴、建碑理由が刻まれています。1858(安政5)年頃に建てられたといわれる碑は、国立市の登録有形文化財です。
孝林道人詩碑

うたた句碑

「空に香の満てや□(梅)に日の匂ふ」という句は、郷地村(現拝島市)の戯作者、不老軒転(うたた)によるものです。文化文政年間に活躍した転は、狂歌師・戯作者として知られた蜀山人(しょくさんじん/大田南畝)と交流があり、俳句もよく詠んでいたといわれています。
うたた句碑

和魂漢才碑

大きな黒花崗岩に刻まれている文字は、菅原道真公の子孫である太宰府天満宮・西高辻信貞氏によるものです。台座は五角形をしており、道真公の御遺戒が刻まれています。1977(昭和52)年、道真公1075年大祭奉賀事業の一環として建てられました。
和魂漢才碑

原田重久句碑

「風落ちて青田の秩序戻りけり」という、戦争で吹き荒れた田園が静けさを取り戻したことを詠った句は、梅林の奥に建っています。谷保村に生まれた原田重久氏は、書家・本田石庵(定寿)に漢籍や書道を学び、NHKの専属放送作家となりました。郷土史家としても知られており、「国立風土記」や「わが町国立」を著しています。この碑は1981(昭和56)年、原田氏が御健在のとき、山口瞳や関頑亭らによって建てられました。

筆塚

神楽殿の近く、小さな滝のとなりに位置しています。1891(明治24)年、谷保・青柳・四谷(現府中市)の小学生が使い古しの筆を納め、供養したことがはじまりです。三筆といわれた能書家、菅原道真公の命日である1月25日(初天神)には、筆供養が行われています。

清原元輔歌碑

清少納言の父、清原元輔が詠んだ、「わが宿の千世のかわ竹ふし遠みさも行く末の遥なるかな」という歌が刻まれています。書いたのは菅原道真公の子孫である菅原以長。それを元に、石坂実福の門人が1841(天保12)年に建立しました。

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