有名度
小結穴守稲荷神社
あなもりいなりじんじゃ
東京都大田区羽田5-2-7
拝殿・幣殿・本殿・御祭神・ご利益
更新日:2025年10月13日
拝殿・幣殿・本殿
元々、穴守稲荷神社は現・羽田空港内(要島)に鎮座していましたが、戦後、GHQによる強制退去の対象となりました。現在地に遷座してからも長らく仮殿のままでしたが、1965年(昭和40年)に正式に再建されました。


天水桶
拝殿正面の左右に置かれています。穴守稲荷神社の社紋が刻まれた緑色の桶は、1964(昭和39)年、山崎甚五兵衛氏によって造られました。山崎甚五兵衛氏は、成田山新勝寺(成田市)や浅草寺(台東区)、高岩寺(とげぬき地蔵・豊島区)、伊香保神社(渋川市)など、各地の天水桶を造った埼玉県川口市の鋳物師です。
御祭神・ご利益
御祭神は豊受姫命(とようけひめのみこと)です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る御饌都神 (みけつかみ)で、衣・食・住の守護神です。御利益は五穀豊穣や産業振興をはじめ、心願成就、家内安全などさまざまです。かつて穴森稲荷神社は羽田空港内(要島)に鎮座しており、現在も空港に近いことから、「羽田を守るお稲荷さん」として、航空安全、旅行安全の御利益もいただけます。

漁師に歌い継がれてきた「羽田節」で、「羽田ではやるお穴さま 朝参り晩には利益授かる」と歌われるなど、古来より多くの人からあつく信仰されています。また明治時代の政治家・東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)氏は、「ねがひごとかならずかなふ穴守の いなりの神よいかに尊き」という歌を遺し、大正から昭和にかけて活動した海軍軍人/政治家・大角岑生(おおすみみねお)は、「穴守樣の信徒層は、竪にも深く、橫にも廣い」と、大臣就任後すぐに参拝したと伝えられています。
明治時代以降は、国内のみならず外国人参拝者も増加。航空安全を祈願する航空会社、航空業界関係者の姿も少なくありません。
かつて200以上あったという講社は、戦後しばらく途絶えていましたが、昭和30年代に復活し、現在は新たな講社を含め22社となっています。
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