有名度
前頭幸稲荷神社
さいわいいなりじんじゃ
東京都港区芝公園3-5-27
東京都港区芝公園3-5-27

かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 安全
幸稲荷神社には
「健康系」「仕事系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
延命長寿 商売繁盛 会社繁栄 安全操業
御祭神
伊弉冉尊 いざなみのみこと
倉稲魂命 うかのみたまのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
幸稲荷神社は東京都港区に鎮座する神社。御祭神は伊弉冉尊、倉稲魂命の2柱をまつる。
社格は旧村社。
幸稲荷神社の創立は、社伝によれば応永元年(1394年)四月に遡ると伝えられており、武蔵国豊島郡岸之村(現在の芝・芝公園周辺)の鎮守として勧請されたのが起源である。創建時には「岸之稲荷(きしのいなり)」と称されたが、後世において氏子・崇敬者の間で幸福事(さいわいごと)が続出したとの言い伝えにより、いつしか「幸稲荷神社」と尊称されるようになったとされる。江戸時代には、当地周辺は鎌倉街道筋の交通路でもあって人の往来が多く、境内には講談寄席や水茶屋、弓場(大弓場)などが設けられて賑わいを見せたという記録も残る。また、この神社にはかつて「瘡護神社(かさもりじんじゃ)」という別の信仰対象が合祀されたといい、腫れ物・皮膚病・できものなどの病気の治癒を願う信仰が強かったとされ、当社境内には瘡護神社の社号碑・扁額も残されている。
明治期には神仏分離を経て、社号や合祀の手続きが整備され、地域の鎮守社としての地位を確立した。しかし、昭和20年(1945年)の東京大空襲により旧社殿を焼失したが、当社の神霊代・古文書・諸資料は無事に保全され難を逃れたという。 その後、昭和35年(1960年)には現在の社殿が再建され、また、昭和33年(1958年)には東京タワーの竣工に際して当社はこの一帯の鎮守とされ、東京タワーの建設地鎮祭を執り行ったとの記録がある。さらに昭和52年(1977年)には、東京タワーに「タワー大神宮」が創建され、当社の境外末社と位置づけられた。これにより、東京タワーも当社の信仰圏の一部となった。
社格は旧村社。
幸稲荷神社の創立は、社伝によれば応永元年(1394年)四月に遡ると伝えられており、武蔵国豊島郡岸之村(現在の芝・芝公園周辺)の鎮守として勧請されたのが起源である。創建時には「岸之稲荷(きしのいなり)」と称されたが、後世において氏子・崇敬者の間で幸福事(さいわいごと)が続出したとの言い伝えにより、いつしか「幸稲荷神社」と尊称されるようになったとされる。江戸時代には、当地周辺は鎌倉街道筋の交通路でもあって人の往来が多く、境内には講談寄席や水茶屋、弓場(大弓場)などが設けられて賑わいを見せたという記録も残る。また、この神社にはかつて「瘡護神社(かさもりじんじゃ)」という別の信仰対象が合祀されたといい、腫れ物・皮膚病・できものなどの病気の治癒を願う信仰が強かったとされ、当社境内には瘡護神社の社号碑・扁額も残されている。
明治期には神仏分離を経て、社号や合祀の手続きが整備され、地域の鎮守社としての地位を確立した。しかし、昭和20年(1945年)の東京大空襲により旧社殿を焼失したが、当社の神霊代・古文書・諸資料は無事に保全され難を逃れたという。 その後、昭和35年(1960年)には現在の社殿が再建され、また、昭和33年(1958年)には東京タワーの竣工に際して当社はこの一帯の鎮守とされ、東京タワーの建設地鎮祭を執り行ったとの記録がある。さらに昭和52年(1977年)には、東京タワーに「タワー大神宮」が創建され、当社の境外末社と位置づけられた。これにより、東京タワーも当社の信仰圏の一部となった。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.saiwaijinja.or.jp/
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
http://www.saiwaijinja.or.jp/
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/
