楼門 | 香取神宮 - 神社ファン

有名度

関脇

香取神宮

かとりじんぐう

千葉県香取市香取1697番地

😞 🙁 😐 🙂 😄

楼門

更新日:2026年8月20日

国の重要文化財の楼門

総門をくぐって右へ進むと、鮮やかな朱塗りの楼門が姿を現します。香取神宮を代表する建築物のひとつで、周囲の深い緑と楼門の朱色、さらに門の奥に見える黒漆塗りの社殿が美しいコントラストをつくっています。
楼門
楼門は1700年(元禄13年)、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉による香取神宮の大造営に際し、本殿などとともに造営されました。三間一戸の楼門で、建築様式は純和様。屋根は入母屋造の銅板葺ですが、造営当初は栩葺(とちぶき)でした。上下階の均整がとれた姿と鮮やかな丹塗りが特徴で、1983年(昭和58年)12月26日に国の重要文化財に指定されています。
楼門 斜め
香取神宮を象徴する建物として写真や観光案内などに登場することも多く、参拝時には正面からだけでなく、楼門をくぐったあとに振り返って裏側も見ておきたい建物です。

随身像

楼門には、俗に「左大臣・右大臣」と呼ばれる随身像が安置されています。正面から向かって右側の老人像は武内宿禰(たけうちのすくね)、左側の壮年像は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と伝えられています。
随身像
現在は随身像が参拝者を迎えていますが、神仏習合の時代に描かれた造営時の古図では、この場所に仁王像が描かれています。現在の姿と見比べると、神仏習合から神仏分離を経てきた香取神宮の歴史を感じられるポイントです。
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東郷平八郎が揮毫した扁額

楼門の上部に掲げられた「香取神宮」の大きな扁額にも注目です。揮毫したのは、日露戦争で連合艦隊司令長官を務めた元帥海軍大将・東郷平八郎です。香取神宮公式でも東郷平八郎の筆であることが紹介されています。
楼門の扁額
香取神宮の御祭神・経津主大神は、国譲り神話で武甕槌大神とともに大国主大神のもとへ遣わされた神です。古くから武神として崇敬されてきた香取神宮の楼門に、近代日本を代表する海軍軍人・東郷平八郎の筆による扁額が掲げられているのも印象的です。

楼門裏の木造狛犬

楼門をくぐったら、そのまま通り過ぎず裏側も見てみましょう。楼門の裏には、石造ではなく木造の珍しい狛犬が安置されています。
楼門の狛犬
この狛犬は香取神宮境内の神代杉を用いて造られたもので、1934年(昭和9年)3月20日に帝国在郷軍人会千葉支部によって奉納されました。彫刻を手掛けたのは、近代日本を代表する彫刻家の佐藤朝山(のちの佐藤玄々)とされています。
木造ならではの細かな彫りを見ることができ、正面の随身像や東郷平八郎の扁額とはまた異なる楼門の見どころです。
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黄門桜

楼門のそばには「黄門桜」と呼ばれる桜があります。1684年(貞享元年)、水戸黄門として知られる水戸藩第2代藩主・徳川光圀が香取神宮を参拝した際に植樹、奉納したと伝えられています。初代の桜はすでに枯死していますが、そのひこばえが成長し、現在も春になると花を咲かせます。
黄門桜
1834年(天保5年)には水戸藩第9代藩主・徳川斉昭も香取神宮を参拝し、
「恵ある風にしられていちじるし 香取の宮の花の盛は」
と詠みました。この歌は香取神宮公式でも紹介されています。
境内にはこのほか、1911年(明治44年)に皇太子時代の大正天皇がお手植えした松も残されています。徳川光圀ゆかりの木母杉とあわせ、境内に残る歴史人物ゆかりの樹木を巡ってみるのもおすすめです。

諏訪神社

黄門桜のはす向かい、楼門の東側には末社の諏訪神社が鎮座しています。御祭神は大国主命の御子神である武御名方神(たけみなかたのかみ)です。香取神宮公式では「楼門の東側に鎮座し、本殿と向かい合わせにある」と紹介されています。毎年4月12日には例祭が行われます。
武御名方神は『古事記』の国譲り神話に登場しますが、『日本書紀』の国譲りには登場しません。一方、香取神宮の御祭神・経津主大神は『日本書紀』の国譲りに登場しますが、『古事記』には登場しません。そのため、同じ国譲りに関係する神々でありながら、両神が直接対峙する場面はありません。楼門のすぐそばに諏訪神社が鎮座していることを知ると、記紀の国譲り神話の違いにも興味が広がる末社です。
諏訪神社 社殿

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