香雲閣・髪塚・下総国式内社の碑 | 香取神宮 - 神社ファン

有名度

関脇

香取神宮

かとりじんぐう

千葉県香取市香取1697番地

😞 🙁 😐 🙂 😄

香雲閣・髪塚・下総国式内社の碑

更新日:2026年8月20日

香雲閣

花薗神社・六社神社の奥には、大規模な近代和風建築「香雲閣(かうんかく)」が建っています。香取神宮の社殿北東側に位置し、明治時代から集会や直会、披露宴、夏の合宿などに利用されてきた建物です。
香雲閣は1897年(明治30年)に起工し、一部を除いて1900年(明治33年)頃に完成しました。木造2階建ての寄棟造で、屋根は瓦葺。桁行約22m、梁間約10mという大きな建物で、正面中央には銅板葺の唐破風造の玄関が設けられています。大規模でありながら均整のとれた外観を持ち、周囲の境内にもよく調和しています。
香雲閣
香雲閣には皇室とのゆかりもあります。1911年(明治44年)、当時皇太子だった大正天皇が香取神宮を参拝した際には、香雲閣が休憩所として使用されました。その後、1925年(大正14年)には屋根の大規模な修繕が行われています。
明治時代に建てられた香取神宮の附属施設として歴史的価値が認められ、2000年(平成12年)2月15日に国の登録有形文化財に登録されました。現在ではかつてのような集会や披露宴などには利用されていませんが、香取神宮に残る貴重な近代和風建築として見ることができます。
スポンサーリンク

髪塚

香雲閣のすぐ近くには、大小2つの「髪塚」があります。
髪塚には、戦地へ出征する家族や恋人の武運長久と無事の帰還を願った女性たちの髪が納められています。女性たちは大切な人の無事を祈り、この場所で自らの髪を切って塚に納めたと伝えられています。
2つの塚は建立された時代が異なり、向かって右側の髪塚は1901年(明治34年)、左側は1941年(昭和16年)に建立されました。明治から昭和にかけて、戦地へ向かう人とその帰還を願った家族の思いを現在に伝える場所です。
華やかな社殿や境内の巨木とは性格の異なる見どころですが、当時の人々が香取神宮に武運長久や無事の帰還を祈った歴史を感じられる場所でもあります。
髪塚

下総国式内社の碑

髪塚の左側には、1861年(文久元年)に建立された「下総国式内社の碑」があります。
「式内社」とは、平安時代の927年(延長5年)に完成した『延喜式』の神名帳に記載された神社です。下総国には香取神宮をはじめ11座の式内社が記載されています。
この石碑は、佐原出身の国学者・清宮秀堅(せいみやひでかた)が、『延喜式』や『日本三代実録』などの古い記録をもとに下総国の式内社を調査したことに関係するものです。特に所在地が問題となっていた子松神社について考証し、その成果を石碑に残しました
香取神宮そのものも『延喜式』神名帳に「香取神宮」と記載された下総国を代表する式内社です。境内に建つこの石碑は、香取神宮だけでなく、江戸時代末期に下総国の古社を調査した国学者の研究を現在に伝える史跡でもあります。
下総国式内社の碑

この記事を1人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

香取神宮の人気記事