加波山神社 山頂本殿・拝殿 - 神社ファン

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加波山神社 山頂本殿・拝殿

さんちょうほんでん・はいでん

茨城県石岡市大塚字加波山1

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茨城県石岡市大塚字加波山1

真壁拝殿と鳥居

小石川人晃(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

加波山神社 山頂本殿・拝殿以外にも 加波山権現 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 安全
  • 家庭
加波山神社 山頂本殿・拝殿には

「仕事系」「子供系」「安全系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

村内安全 家内安全 嵐等の諸災除け 農漁業等の殖産興業 子授け 安産

御祭神

国常立尊 くにのとこたちのみこと
伊邪那岐尊 いざなぎのみこと
伊邪那美尊 いざなみのみこと
ほか山中に737神 不明

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(3柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

加波山神社 山頂本殿・拝殿は茨城県石岡市に鎮座する神社。御祭神は国常立尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、ほか山中に737神をまつる。
社格は国史見在社で、旧郷社。
社伝では、景行天皇の時代、日本武尊が東北地方へ向かう途中に加波山へ登り、神託を受けて天御中主神、日の神、月の神をまつり、社殿を建立したことを創祀と伝える。
延暦20年(801年)、坂上田村麻呂は東北遠征に際して加波山神社で戦勝を祈願し、大同元年(806年)には社殿を寄進したと伝えられる。また、空海が加波山を訪れ、加波山大権現の号を定めたとの伝承も残る。
平安時代には神仏習合が進み、加波山は修験道の霊場となった。本宮、親宮、中宮が整えられ、中宮は真言宗寺院の文殊院が管理した。神職、僧侶、山伏が祭祀や修行を行い、山岳信仰が受け継がれた。
江戸時代には、中宮は文殊院を別当寺とする宮寺一体の形態となり、大塚村の神社や寺院の別当職も兼ねた。加波山の山伏は山先達として組織され、祈祷や加持を行い、江戸幕府から5石の朱印地を与えられた。
寛政年間(1789~1801年)頃までに山中の岩場や洞窟は禅定場として整備され、禅定講の人々は先達の案内で霊場を巡拝した。文化年間(1804~1818年)頃には本社再建のための講が結成され、山先達は神輿を周辺集落へ巡幸させた。
明治元年(1868年)の神仏判然令により神仏分離が進められ、明治2年(1869年)に加波山神社と文殊院が分離した。明治6年(1873年)には郷社に列し、明治11年(1878年)には東麓に八郷拝殿が建立された。平成16年(2004年)には西麓に真壁拝殿が建立された。山頂本殿・拝殿は標高709メートルの加波山山頂付近に鎮座する。本殿は一間社流造で、山頂から北へ延びる尾根上に建ち、その北側に拝殿が配置される。東麓には八郷拝殿、西麓には真壁拝殿がある。
例祭は4月8日に行われる。8月には山中の禅定場を巡る禅定祭が斎行され、胎内くぐり、天狗の五段飛、行者七戻り、霞ヶ関などの修行場を巡拝する。9月第1日曜日には摂社・たばこ神社で「きせる祭」が行われ、真壁拝殿から長さ約3.6メートル、重さ約60キログラムの大煙管を担いで山頂付近のたばこ神社へ奉納する。
  • 郷社
  • 国史見在社
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神社詳細

正式名称

加波山神社

摂末社・境内社

情報募集

例祭

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文化財

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建築

本殿 一間社流造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/