與利幾神社 | 大洗磯前神社 - 神社ファン

有名度

関脇

大洗磯前神社

おおあらいいそさきじんじゃ

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890番地

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與利幾神社

更新日:2026年10月20日

諏訪の神木を祀る社

参拝者用の駐車場へ続く車道の途中に、與利幾神社(よりきじんじゃ)の鳥居が立っています。境内の西に鎮座する境内末社で、林のなかの参道を進み、石段を上った先に社殿があります。
大洗磯前神社 與利幾神社 鳥居
正面に建つのは拝殿、その奥が本殿です。拝殿は銅板葺きの入母屋造で、正面には一間の向拝が付いています。頭貫と桁のあいだに彫られているのは、透かし彫りの龍です。手がけたのは、幕末から明治期にかけて活躍した後藤縫殿之助(ごとうぬいのすけ)です。
大洗磯前神社 與利幾神社 拝殿
本殿の屋根の形は、大洗磯前神社の本殿とよく似ており、大棟には3本の鰹木が載っています。向拝にも拝殿と同じ意匠が見られ、境内末社ながら社殿の細部まで見どころがあります。
御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)です。大洗磯前神社の主祭神である大己貴命の子とされ、長野県の諏訪大社に祀られる神として知られています。
『古事記』の国譲り神話では、葦原中国を譲るよう迫る建御雷神に力比べを挑んだ神として登場します。戦いに敗れた建御名方命は信濃国の諏訪湖まで逃れ、そこで留まったと伝えられています。こうした神話から武勇の神として信仰される一方、諏訪地方では古くから農耕や狩猟などとも深く結びつき、現在では五穀豊穣、産業守護、勝運など幅広い信仰を集めています。
與利幾神社で特に興味深いのは、諏訪の神を単に勧請したのではなく、海から流れ着いた霊木を御神体として祀ったことです。
大洗磯前神社 與利幾神社 本殿

諏訪から流れ着いた霊木

與利幾神社の前には、この地に祀られるようになった由来を記した石碑が立っています。
大洗磯前神社 與利幾神社 石碑
安永6年(1777)11月18日、明神町の漁師・平太夫が海上で一本の楠の霊木を見つけ、浜へ引き上げました。
明治33年(1900)にまとめられた『磯浜誌』には、この木が普通の木ではなく怪しい光を放ったため、里人が畏れて祀ったと記されています。このとき大洗磯前神社の巫女が湯を奉ると、巫女はこの霊木が信濃国・諏訪の神木であると語ったと伝えられています。
一方、後世に伝えられた「與利幾神社由来記」には、少し異なる話が残されています。
この地方では材木が貴重だったため、平太夫は漂着した巨木を薪にしようと斧を入れました。すると斧の刃が欠け、平太夫はその夜から高熱を出したといいます。その夢に神が現れ、自らが大洗の大神に従って人々を災いや病から救うために巡ってきたことを告げ、これから起こる飢饉や疫病への備えを説いたと伝えられています。
平太夫はこの出来事を畏れ、大洗磯前神社の神職の指導を受け、現在の場所に霊木を御神体として祀りました。
その後、海では漁が盛んになり、平太夫も漁業や商いで成功したと伝えられます。與利幾神社への信仰は地元だけにとどまらず、近隣地域や江戸などからも参拝者が訪れるほど広がり、かつては「与利木茶屋」ができるほど賑わったとも伝えられています。
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「與利幾」の名前の由来

與利幾神社という珍しい社名も、この霊木の伝承から生まれました。
御祭神の建御名方命は、大洗磯前神社の主祭神・大己貴命の子とされています。その建御名方命の御神木が、父神を祀る大洗磯前神社のもとへ海を渡って「寄ってきた」ことから、当初は「寄木」と呼ばれたと伝えられています。
その後、縁起のよい漢字をあてて「與利幾」と表すようになりました。
つまり與利幾神社は、父神である大己貴命を祀る大洗の地へ、子神である建御名方命の霊木が自ら流れ着いたという伝承を持つ神社です。大洗磯前神社の境内社のなかでも、本社の御祭神との親子関係がそのまま創建伝承と社名につながっている珍しい社です。
霊木が漂着したとされる11月18日は現在も大切な日とされ、例祭は旧暦11月18日頃に行われています。

鹿島灘を見渡す絶景スポット

社殿の前から参道を振り返ると、鳥居の先に大洗の町並みと海が広がります。天気のよい日には鹿島灘を一望でき、大洗磯前神社の境内でも海を高い位置から眺められる場所の一つです。
林に囲まれた参道から海側を振り返ると、木々の間から明るい海が見えるため、社殿へ向かうときと戻るときで景色の印象が大きく変わります。
また、社殿の裏手には神橋があり、ここからの景色は大洗を舞台とするアニメ『ガールズ&パンツァー』にも登場しています。大洗町には作品に登場した場所が数多くあり、大洗磯前神社周辺も聖地巡礼で訪れる人の多い場所です。
與利幾神社では、諏訪から流れ着いた霊木の伝承だけでなく、高台ならではの鹿島灘の眺望も見逃せない見どころです。
大洗磯前神社 與利幾神社 拝殿近くから見える鹿島灘

茨城を代表する名工・後藤縫殿之助

拝殿を見る際に注目したいのが、後藤縫殿之助が手がけた彫刻です。
後藤縫殿之助は文政8年(1825)、下総国猿島郡猫実村、現在の茨城県坂東市に生まれました。15歳で笠間の宮大工・後藤茂右衛門に弟子入りして修業を積み、のちに独立。幕末から明治時代にかけて、関東各地の社寺に彫刻を残しました。
明治10年(1877)には東京・上野で開かれた第1回内国勧業博覧会に作品を出品し、花紋賞牌を受賞しています。後藤縫殿之助が高く評価されたことを伝える出来事の一つです。代表的な仕事の一つが、笠間市にある笠間稲荷神社本殿の彫刻です。国の重要文化財に指定されている本殿には、後藤縫殿之助をはじめとする名工による精緻な彫刻が施されています。成田山新勝寺の現在の釈迦堂の彫刻も手がけました。
與利幾神社では、その名工の仕事を間近で見ることができます。特に拝殿正面の透かし彫りの龍は、参拝の際に見上げておきたいところです。
大洗磯前神社 與利幾神社 拝殿の彫刻
大洗磯前神社から笠間稲荷神社までは車で1時間ほどです。両社を訪れる機会があれば、與利幾神社の龍と笠間稲荷神社本殿を飾る彫刻を見比べてみるのもおすすめです。

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