有名度
関脇大洗磯前神社
おおあらいいそさきじんじゃ
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890番地
二の鳥居
更新日:2026年10月20日
海に向かって構える大鳥居
一の鳥居をくぐり、大洗海岸通り沿いを進むと左手に見えてくるのが二の鳥居です。高さ約13メートルを誇る白色の明神鳥居で、大洗磯前神社の境内入口に立つ大鳥居です。海に向かって構えるように建ち、道路を挟んだ先には太平洋が広がっています。鳥居の大きさは間近まで来るとより実感できます。太い柱が左右にそびえ、その向こうには社殿へと続く約90段の石段がまっすぐ延びています。海岸から丘の上へ向かう参道の起点でもあり、二の鳥居を境に、海辺の景色から神社の境内へと雰囲気が大きく変わります。
鳥居の下から海側を振り返れば、道路の向こうに太平洋が広がります。反対に境内側を向けば、鳥居の先に石段がまっすぐ延び、その上には三の鳥居が立っています。海と高台の境内を一本の参道でつなぐ、大洗磯前神社ならではの位置に建つ鳥居です。実際、神社では海岸から境内へ上る階段を約90段と案内しています。


神社では「自然のものは、なるべく自然のままに」と案内しています。神磯の岩礁も古くから禁足地とされている神聖な場所です。海岸の石を記念に持ち帰ったり、境内へ運んで積んだりせず、そのままの状態で大洗の海と神社の景観を楽しみましょう。

さらに、この海は大洗磯前神社の信仰そのものと深く結びついています。海岸には御祭神が降臨したと伝わる「神磯」があり、その岩礁には神磯の鳥居が立っています。神磯は現在も禁足地とされ、毎年元日には神職が海岸へ下り、御祭神降臨の地を照らしながら昇る初日の出を拝む「初日の出奉拝式」が行われています。
御祭神が現れたと伝わる太平洋を背に二の鳥居をくぐり、約90段の石段を上って社殿へ向かう。そう考えると、二の鳥居から先の参道も単なる移動経路ではなく、大洗磯前神社と海とのつながりを感じられる場所として歩くことができます。
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天皇に書を教えた親王
二の鳥居の扁額を揮毫した有栖川宮熾仁親王は、江戸時代後期から明治時代にかけての皇族です。幕末から明治維新期に活躍し、明治時代には伊勢神宮の祭主をはじめ、政府や軍の要職を歴任しました。有栖川宮家は代々、歌道と書道を家学として伝えた宮家です。その書風は「有栖川流」と呼ばれ、熾仁親王も優れた書の名手として知られていました。明治天皇と昭憲皇太后に書を教える師範も務めています。

熾仁親王の筆跡は、大洗磯前神社だけでなく全国各地に残されています。なかでも有名なのが、広島県の厳島神社です。海上に立つ大鳥居には沖側と神社側にそれぞれ扁額が掲げられており、これらも熾仁親王の揮毫によるものです。
厳島神社の大鳥居では、沖側に「嚴嶋神社」、神社側に「伊都岐島神社」と記された扁額が掲げられています。現在の大鳥居は1875年(明治8年)に完成したもので、熾仁親王の書が大鳥居の重要な意匠として現在まで受け継がれています。
太平洋に向かって構える大洗磯前神社の二の鳥居と、瀬戸内海に立つ厳島神社の大鳥居。遠く離れた二つの海辺の大鳥居に、同じ有栖川宮熾仁親王の書が掲げられているというのも興味深いところです。
大洗磯前神社の二の鳥居を訪れた際には、その大きさや海を望む景観だけでなく、頭上の扁額にも目を向けてみてください。明治天皇の書の師範を務めた人物の筆を、現在も鳥居の下から見ることができます。
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