熊野居合両神社 - 神社ファン

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熊野居合両神社

くまのいあいりょうじんじゃ

山形県村山市大字林崎字宮地213

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山形県村山市大字林崎字宮地213

かんたんご利益

  • 健康
  • 安全
熊野居合両神社には

「健康系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全

御祭神

伊弉弥尊

神社系統

この神社の主な系統は

「熊野系」

です。
他に 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

熊野居合両神社は山形県村山市に鎮座する神社。御祭神は伊弉諾尊、伊弉弥尊、素盞嗚命、林崎甚助重信公の4柱をまつる。
格式は旧村社。
社伝では、大同2年(807)、林崎地区の東方にある石城嶽の大明神沢の岩窟に熊野権現を祀ったことを創始とする。この岩窟は現在の熊野神社奥の院にあたる。その後、熊野権現は林崎地区に近い旧荒宿村へ移され、熊野堂として石祠に祀られた。
永承年間(1046~1053)から正安2年(1300)までの間に現在地へ遷座し、林崎の氏神として林崎明神、熊野明神などと呼ばれた。
天文11年(1542)、後に居合の祖とされる林崎甚助重信が現在の村山市に生まれた。幼名を民治丸といい、父は楯岡城主に仕えた浅野数馬重治と伝えられている。幼少期に父を坂上主膳に殺害された民治丸は、父の仇を討つため剣術の修行を始めた。
弘治2年(1556)、民治丸は林崎明神に100日間参籠して剣術の修行と祈願を続け、満願を迎えるころ、神夢によって抜刀の秘伝を授かったと伝えられている。さらに修行を重ね、永禄2年(1559)に抜刀の妙を悟り、元服して林崎甚助重信と名乗った。
永禄4年(1561)、19歳となった重信は京都で父の仇を討ったと伝えられる。帰郷後には愛刀「信国」を林崎明神へ奉納した。この刀は3尺3寸ほどの長刀であったという。
永禄5年(1562)に母が亡くなると、重信は再び林崎を離れ、諸国を巡りながら門弟を育てて抜刀術を伝えた。晩年には武蔵国川越に住む甥の高松勘兵衛を訪ね、その後に奥州へ向かったとされるが、以後の消息は明らかではない。
江戸時代には、新庄藩の林崎新夢想流や庄内藩の林崎田宮流などの剣士が林崎村を訪れ、林崎明神を参拝して絵馬を奉納した。羽州街道を往来する武人も林崎明神を参拝した。
幕末には清河八郎も林崎明神を訪れている。清河の旅の記録『西遊草』には、林崎甚助重信が奉納したと伝わる「信国」の長柄刀や、剣士たちが参拝する様子が記されている。
その後、林崎甚助重信の事績を伝える村人によって境内に重信を祀る居合大明神が建立された。明治時代には林崎明神である熊野神社と居合大明神が合祀され、熊野居合両神社となった。現在も林崎甚助重信を祭神として祀っている。
境内には本殿と拝殿が建ち、居合道の稽古施設である振武館が隣接している。現在も林崎甚助重信ゆかりの地で居合道の奉納演武が行われ、各地から居合道関係者が訪れる。村山市でも林崎居合神社を会場とする居合道演武会が開催されている。
例祭は毎年5月1日に行われる。

  • 村社
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/