林崎甚助
はやしざきじんすけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング776位
- その他
戦国~江戸 [1542年~1621年]
林崎甚助とは?
林崎甚助(?-1621)は戦国時代~江戸時代前期にかけての人物。浅野数馬の子。正確には不明だが1544年の生まれとする史料が多い。出羽国(現在の山形県)の出身。父親の浅野数馬は、坂一雲斎という男に闇討ちされて死亡している。そのため甚助は父の仇を討つべく、楯岡城の武芸師範について武芸の腕を磨いた。努力の甲斐あって、19歳の頃には仇討ちに成功している。史料によっては、塚原卜伝に秘剣を授かったとも、鞍馬流剣術の二代目を継いだとも言われる。様々な剣術流派の歴史にその名が見られることから、いずれにせよ当時の剣客の間で甚助の名が轟いていたことは間違いない。仇討ちを成した後、甚助は諸国を巡りながら幾多の弟子に剣術の指南を行った。甚助が生涯をかけて追及した「刀を鞘に納めた状態から抜きの一撃で攻撃する」という独自の剣術はやがて「居合(抜刀術)」と呼ばれるようになり、後に数多くの剣術流派を生んだ。このことから甚助は「居合の始祖」と呼ばれている。 甚助は信心深い性格だったようで、その抜刀術も「明神に授けられた」と伝承されている。このとき神託を得たとされる林崎明神は後年、甚助を合祀して「林崎居合神社」と呼ばれるようになった。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
浅野民治丸あさのたみじ
その他
祀られている主な神社
居合神社
(山形県村山市大字林崎85)
