有名度
十両真昼山三輪神社
まひるさんみわじんじゃ
秋田県仙北郡美郷町浪花字一丈木2
秋田県仙北郡美郷町浪花字一丈木2

かんたんご利益
- 健康
- 仕事
真昼山三輪神社には
「健康系」「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
疫病除け 病気平癒 商売繁盛
御祭神
大物主神 おおものぬしのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「大神系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
真昼山三輪神社は秋田県仙北郡美郷町に鎮座する神社。御祭神は大物主神の1柱をまつる。
社伝によれば、大同2年(807)、坂上田村麻呂が真山の賊・魁王の討伐を祈願し、真昼山頂に堂宇を建立したことに始まるという。田村麻呂が山頂に立った時刻が白昼であったことから、真昼山の名が生まれたとも伝えられる。『日本三代実録』には、貞観4年(862)に真蒜神が従五位下の神階を授けられたことが記されており、この真蒜神を真昼岳の神に比定する説がある。
寛治5年(1091)には堂宇が再建され、善知鳥三坊と真昼大沢六坊が置かれた。これらは佐藤山城守の支配下にあったが、文安2年(1445)に坊中が退転した後は、佐藤山城守の子孫が代々別当を務めた。永正2年(1505)には、本堂伊勢守によって再建されている。
天文7年(1538)、花巻の領主に仕えていた鈴木孫八郎藤原正一が佐藤山城守の娘と婚姻し、真昼山三輪明神の下社人となった。さらに永禄年間には、その子である千寿院が真昼三社の別当に定められ、神職を担うこととなった。慶長6年(1601)、領主の本堂氏が常陸国へ転封された後も信仰は受け継がれ、仙北・平鹿・雄勝・河辺方面には真昼講が組織された。例祭は旧暦6月15日に斎行される。
社伝によれば、大同2年(807)、坂上田村麻呂が真山の賊・魁王の討伐を祈願し、真昼山頂に堂宇を建立したことに始まるという。田村麻呂が山頂に立った時刻が白昼であったことから、真昼山の名が生まれたとも伝えられる。『日本三代実録』には、貞観4年(862)に真蒜神が従五位下の神階を授けられたことが記されており、この真蒜神を真昼岳の神に比定する説がある。
寛治5年(1091)には堂宇が再建され、善知鳥三坊と真昼大沢六坊が置かれた。これらは佐藤山城守の支配下にあったが、文安2年(1445)に坊中が退転した後は、佐藤山城守の子孫が代々別当を務めた。永正2年(1505)には、本堂伊勢守によって再建されている。
天文7年(1538)、花巻の領主に仕えていた鈴木孫八郎藤原正一が佐藤山城守の娘と婚姻し、真昼山三輪明神の下社人となった。さらに永禄年間には、その子である千寿院が真昼三社の別当に定められ、神職を担うこととなった。慶長6年(1601)、領主の本堂氏が常陸国へ転封された後も信仰は受け継がれ、仙北・平鹿・雄勝・河辺方面には真昼講が組織された。例祭は旧暦6月15日に斎行される。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
