有名度
十両新羅神社
しらぎじんじゃ
宮城県登米市中田町宝江黒沼字浦89
宮城県登米市中田町宝江黒沼字浦89

かんたんご利益
- 仕事
- 家庭
- 勝負
新羅神社には
「仕事系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 家内安全 武運長久
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」 「諏訪系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
新羅神社は宮城県登米市に鎮座する神社。御祭神は五十猛命、建御名方命の2柱をまつる。
社格は旧村社。
文禄元年(1592)、近江国園城寺の門徒であった円快阿闍梨が、黒沼村で流行した疫病の退散を祈願するため新羅山園城寺を造営し、新羅明神を勧請したことに始まる。元和8年(1622)には、諏訪明神を奉斎する吉野坊が当地へ来たことから、その神霊を園城寺へ合祀した。
寛永5年(1628)、高泉長門定康が黒沼村へ移封されると、諏訪明神を高泉家の守護神として篤く奉斎した。正徳4年(1714)には祈願成就の奉賽として社殿を再建し、祭祀の充実が図られた。その後、寺は黒沼寺と称し、羽黒派修験に属して祭祀を受け継いだ。
明治2年(1869)、神仏分離に伴って寺を廃し、新羅神社へ改称した。明治12年(1879)には村社に列し、以後も地域の鎮守として祭祀が受け継がれている。例祭は4月27日と10月27日に行われる。
社格は旧村社。
文禄元年(1592)、近江国園城寺の門徒であった円快阿闍梨が、黒沼村で流行した疫病の退散を祈願するため新羅山園城寺を造営し、新羅明神を勧請したことに始まる。元和8年(1622)には、諏訪明神を奉斎する吉野坊が当地へ来たことから、その神霊を園城寺へ合祀した。
寛永5年(1628)、高泉長門定康が黒沼村へ移封されると、諏訪明神を高泉家の守護神として篤く奉斎した。正徳4年(1714)には祈願成就の奉賽として社殿を再建し、祭祀の充実が図られた。その後、寺は黒沼寺と称し、羽黒派修験に属して祭祀を受け継いだ。
明治2年(1869)、神仏分離に伴って寺を廃し、新羅神社へ改称した。明治12年(1879)には村社に列し、以後も地域の鎮守として祭祀が受け継がれている。例祭は4月27日と10月27日に行われる。
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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