有名度
十両三方島神社
さんぼうじまじんじゃ
宮城県登米市迫町北方字三方島一番江20-2
宮城県登米市迫町北方字三方島一番江20-2

かんたんご利益
- 安全
- 厄除
- 家庭
三方島神社には
「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
火伏せ 除災 家内安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「かまど・荒神系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
三方島神社は宮城県登米市に鎮座する神社。御祭神は火産霊神、奥津比古神、奥津比売神の3柱をまつる。
社格は旧村社。
大同元年(806)、坂上田村麻呂が東征の途中、栗原郡畑岡の賊徒と戦った際、3柱の神が現れて戦功を助けたことから、三方荒神として奉斎したことに始まると伝えられる。当初は北方村町新田に鎮座していたが、その後、長い年月を経るなかで次第に荒廃した。
元禄10年(1697)から享保6年(1721)頃にかけて、佐沼領主津田春康が佐沼郷の開拓を進めていた際、草むらの中から神像が発見されたという。これを受けて享保元年(1716)10月、現在地に社殿を再興し、神像を奉斎して祭祀を復興したと伝えられる。その後は本山派修験の宝性院が代々祭祀を担い、神社を守り伝えた。
明治8年(1875)には村社に列し、大正8年(1919)8月には神饌幣帛料供進社に指定された。春祭は3月16日、秋祭は9月16日に行われる。
社格は旧村社。
大同元年(806)、坂上田村麻呂が東征の途中、栗原郡畑岡の賊徒と戦った際、3柱の神が現れて戦功を助けたことから、三方荒神として奉斎したことに始まると伝えられる。当初は北方村町新田に鎮座していたが、その後、長い年月を経るなかで次第に荒廃した。
元禄10年(1697)から享保6年(1721)頃にかけて、佐沼領主津田春康が佐沼郷の開拓を進めていた際、草むらの中から神像が発見されたという。これを受けて享保元年(1716)10月、現在地に社殿を再興し、神像を奉斎して祭祀を復興したと伝えられる。その後は本山派修験の宝性院が代々祭祀を担い、神社を守り伝えた。
明治8年(1875)には村社に列し、大正8年(1919)8月には神饌幣帛料供進社に指定された。春祭は3月16日、秋祭は9月16日に行われる。
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神社詳細
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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