有名度
十両水分神社
みくまりじんじゃ
宮城県白石市福岡八宮中川上13-2
宮城県白石市福岡八宮中川上13-2

かんたんご利益
- 厄除
- 家庭
水分神社には
「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
厄除 家内安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「蔵王系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
水分神社は宮城県白石市に鎮座する神社。御祭神は天水分神、国水分神の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
白鳳8年(680)、大和国吉野から蔵王権現を不忘山頂へ勧請し、奥宮として奉斎したことに始まると伝えられる。延暦20年(801)頃には、東征した坂上田村麻呂が当社に戦勝を祈願したという。さらに治承元年(1177)には藤原秀衡によって社殿が造営され、古くから武将の崇敬を受けたと伝えられている。
永正2年(1505)には、不忘山頂の奥宮に対して御岳林に里宮が造営された。このとき村内に鎮座していた神明社、愛宕社、天王社、賀茂社、八幡社、春日社、熊野社の7社を境内へ祀り、蔵王権現と合わせて8社が祀られたことから、「八宮」の地名が生じたという。
元文元年(1736)には不忘山頂の奥宮が火災によって焼失したが、元文5年(1740)、片倉家によって再建された。明治2年(1869)、神仏分離に伴って蔵王権現から水分神社へ改称し、明治7年(1874)には郷社に列した。
平成8年(1996)には大規模な社殿整備が行われ、御岳林に鎮座する里宮の本殿・幣殿・拝殿と、不忘山頂に鎮座する奥宮がそれぞれ再建された。現在も里宮と奥宮の祭祀が受け継がれ、長い歴史と不忘山への信仰を伝えている。
社格は旧郷社。
白鳳8年(680)、大和国吉野から蔵王権現を不忘山頂へ勧請し、奥宮として奉斎したことに始まると伝えられる。延暦20年(801)頃には、東征した坂上田村麻呂が当社に戦勝を祈願したという。さらに治承元年(1177)には藤原秀衡によって社殿が造営され、古くから武将の崇敬を受けたと伝えられている。
永正2年(1505)には、不忘山頂の奥宮に対して御岳林に里宮が造営された。このとき村内に鎮座していた神明社、愛宕社、天王社、賀茂社、八幡社、春日社、熊野社の7社を境内へ祀り、蔵王権現と合わせて8社が祀られたことから、「八宮」の地名が生じたという。
元文元年(1736)には不忘山頂の奥宮が火災によって焼失したが、元文5年(1740)、片倉家によって再建された。明治2年(1869)、神仏分離に伴って蔵王権現から水分神社へ改称し、明治7年(1874)には郷社に列した。
平成8年(1996)には大規模な社殿整備が行われ、御岳林に鎮座する里宮の本殿・幣殿・拝殿と、不忘山頂に鎮座する奥宮がそれぞれ再建された。現在も里宮と奥宮の祭祀が受け継がれ、長い歴史と不忘山への信仰を伝えている。
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神社詳細
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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