神門・拝殿・本殿 | 志波彦神社 - 神社ファン

有名度

関脇

志波彦神社

しわひこじんじゃ

宮城県塩竈市一森山1-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

神門・拝殿・本殿

更新日:2026年8月14日

神門

緩やかな参道を進むと、志波彦神社の神門が正面に現れます。一間一戸の四脚門で、切妻造・銅板葺。左右には翼廊が延び、中央の門を中心に横へ大きく広がる堂々とした構えとなっています。
神門と社号碑
神門は朱塗りを基調とし、軒下の組物や蟇股などには緑・青・金などを用いた鮮やかな彩色が施されています。左右の翼廊には緑色の連子窓が設けられ、朱色の柱との色彩の対比も印象的です。昭和13年(1938)に完成した志波彦神社の社殿群らしい華やかな意匠を、参拝者が最初に間近で見られる建物です。
神門
中央に掲げられた扁額には「式内社名神大 志波彦神社」と記されています。『延喜式』神名帳において名神大社に列した志波彦神社の格式を現在に伝える扁額です。
また、門の中央から先を見ると、開口部のちょうど正面に拝殿が収まり、神門越しに拝殿を望むことができます。朱塗りの門を額縁のようにして社殿を見ることができる、志波彦神社らしい印象的な景観です。
神門の扁額
神門の右手には、昭和天皇の御製を刻んだ碑が建っています。碑に刻まれているのは、
「さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ わがねがいなる」
という御製です。すべてを隔てなく照らす朝日の光に重ねて世の安寧を願った歌で、碑の周囲には鹽竈ザクラも植えられています。桜が花をつける時期には、御製碑と八重咲きの花を一緒に見ることができます。
昭和天皇が詠んだ歌碑
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拝殿・本殿

神門をくぐった正面に建つのが志波彦神社の拝殿です。神門と同じく朱と黒の漆塗りを基調とし、要所には極彩色が施されています。落ち着いた色調を特徴とする鹽竈神社の社殿とは趣が大きく異なり、同じ境内に鎮座しながら、それぞれ異なる歴史を歩んできた2社の違いを感じられます。
現在の社殿が完成したのは昭和13年(1938)ですが、その造営までには長い年月を要しました。
拝殿
志波彦神社は、もともと現在の仙台市宮城野区岩切に鎮座していました。明治4年(1871)に国幣中社へ列格すると、新たな社殿の造営が課題となり、明治7年(1874)12月24日には鹽竈神社の別宮本殿へ一時的に遷座しました。
大正11年(1922)には社殿造営が計画されたものの、計画はなかなか進展しませんでした。さらに翌大正12年(1923)には関東大震災が発生し、造営の見通しは一層厳しくなります。
この状況を動かしたと伝えられているのが、当時の古川左京宮司です。古川宮司は政府へ直接働きかけ、「天下の一大事である。直ぐに取り次ぐべし」と訴え、明治天皇の思し召しでもあった志波彦神社の社殿造営をいつまで放置するのかと迫ったと伝えられています。
その後、長く停滞していた計画が動き出し、昭和9年(1934)に現在地で工事に着手。4年後の昭和13年(1938)に社殿が完成し、同年9月に遷座しました。
拝殿内部
拝殿・本殿ともに朱黒の漆塗りを基調とし、要所に極彩色を施した華やかな社殿で、昭和38年(1963)には塩竈市の文化財に指定されています。長期間にわたった造営計画の末に完成した社殿は、志波彦神社を象徴する最大の見どころのひとつです。

御祭神・ご利益

御祭神は志波彦大神(しわひこのおおかみ)です。志波彦大神は『古事記』『日本書紀』の神話には登場せず、その神格には現在も明らかになっていない部分があります。
一方、宮城県栗原市には「志波姫」の地名が残り、志波姫神社も鎮座することなどから、この地方で古くから信仰されてきた神とする説があります。志波彦神社では農耕守護・殖産・国土開発の神として崇敬されています。
現在の社殿こそ昭和時代に造営されたものですが、志波彦大神への信仰ははるかに古く、『延喜式』に名神大社として記載された古社の歴史を現在へ伝えています。
本殿

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