有名度
十両大宮神社
おおみやじんじゃ
岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀107
岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀107

かんたんご利益
- 仕事
大宮神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家隆昌 生命力向上 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「伊勢・神明系」 「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大宮神社は岩手県下閉伊郡田野畑村に鎮座する神社。御祭神は天照大神、大宮賣命の2柱をまつる。
社格は旧村社。
延元2年(1337)5月、泉州石津の戦いで北畠顕家が討たれた後、その娘と伝わる宮姫は郎党1人とともに敵中を脱出し、母から託された大宮賣命の像を納めた宝鏡を奉じて南部氏を頼る旅に出た。100日余りをかけて羅賀へたどり着いた宮姫は、この地に祠を建てて宝鏡をまつったことが神社の起源と伝えられている。
しかし、数年後に宮姫の所在が幕府方へ伝わると、南部氏の兵に包囲され、宮姫は片目を矢で射抜かれた末に海へ身を投じたという。その後、村人は宮姫の霊をともにまつり、伝承は地域に語り継がれてきた。
享保2年(1717)7月には大沢礼助ら3人が現在地に神祠を建立して大宮山神社と称し、明和元年(1764)12月には南部藩主・南部利雄の命により九戸郡代坂牛氏が社殿を改築した。藩主が海岸を巡視した際には奉幣も行われたと伝えられる。さらに嘉永6年(1853)5月5日には栄福院上野法親王への奏上を経て大宮大権現と改称し、明治2年(1869)の神仏分離によって現在の大宮神社となった。近代には村社に列格し、現在も例祭は旧暦6月15日に斎行されている。
社格は旧村社。
延元2年(1337)5月、泉州石津の戦いで北畠顕家が討たれた後、その娘と伝わる宮姫は郎党1人とともに敵中を脱出し、母から託された大宮賣命の像を納めた宝鏡を奉じて南部氏を頼る旅に出た。100日余りをかけて羅賀へたどり着いた宮姫は、この地に祠を建てて宝鏡をまつったことが神社の起源と伝えられている。
しかし、数年後に宮姫の所在が幕府方へ伝わると、南部氏の兵に包囲され、宮姫は片目を矢で射抜かれた末に海へ身を投じたという。その後、村人は宮姫の霊をともにまつり、伝承は地域に語り継がれてきた。
享保2年(1717)7月には大沢礼助ら3人が現在地に神祠を建立して大宮山神社と称し、明和元年(1764)12月には南部藩主・南部利雄の命により九戸郡代坂牛氏が社殿を改築した。藩主が海岸を巡視した際には奉幣も行われたと伝えられる。さらに嘉永6年(1853)5月5日には栄福院上野法親王への奏上を経て大宮大権現と改称し、明治2年(1869)の神仏分離によって現在の大宮神社となった。近代には村社に列格し、現在も例祭は旧暦6月15日に斎行されている。
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神社詳細
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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