有名度
十両熊野神社
くまのじんじゃ
岩手県九戸郡九戸村大字伊保内10-38
岩手県九戸郡九戸村大字伊保内10-38

かんたんご利益
- 健康
- 安全
熊野神社には
「健康系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「熊野系」
です。他に 「八幡系」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
熊野神社は岩手県九戸郡九戸村に鎮座する神社。御祭神は伊邪奈美大神、誉田別大神の2柱をまつる。
社格は旧村社。
古くは熊野権現と称し、創立年代は明らかではないものの、古棟札の写しには天文23年(1554)9月14日に九戸下野守信長が建立したと記されている。以来、九戸氏代々の篤い崇敬を受け、領内の熊野信仰の中心として祭祀が営まれてきたと伝えられる。
天正19年(1591)の九戸氏滅亡後は、修験者によって蒔田二渡へ遷座された。その後、正徳3年(1713)9月には村人たちの願いによって社殿が再建され、新たな神輿も奉納された。以後、およそ160年にわたり神輿渡御が続けられたが、夏季の増水によって巡行が困難となる年もあったという。
明治維新後の神仏分離により、明治元年(1868)に熊野神社へ改称し、翌明治2年(1869)には九戸氏の旧館跡にあたる現在地へ遷座した。さらに、明治4年(1871)に村社へ列せられ、明治43年(1910)には無格社八幡宮を合祀した。大正10年(1921)には神饌幣帛料供進社および会計指定社となり、地域を代表する神社としての地位を築いた。
しかし、昭和17年(1942)には参詣者が使用した灯火が原因となる火災によって社殿が焼失し、古棟札や権現頭をはじめとする旧記や社宝の多くを失った。それでも神社は再建され、現在も地域の信仰を集めている。例祭は毎年8月17日に執り行われ、神輿渡御をはじめ、九戸神楽や駒踊り、風流山車の巡行、夜の流し踊りや花火大会など、多彩な行事が行われる地域を代表する祭礼として受け継がれている。
社格は旧村社。
古くは熊野権現と称し、創立年代は明らかではないものの、古棟札の写しには天文23年(1554)9月14日に九戸下野守信長が建立したと記されている。以来、九戸氏代々の篤い崇敬を受け、領内の熊野信仰の中心として祭祀が営まれてきたと伝えられる。
天正19年(1591)の九戸氏滅亡後は、修験者によって蒔田二渡へ遷座された。その後、正徳3年(1713)9月には村人たちの願いによって社殿が再建され、新たな神輿も奉納された。以後、およそ160年にわたり神輿渡御が続けられたが、夏季の増水によって巡行が困難となる年もあったという。
明治維新後の神仏分離により、明治元年(1868)に熊野神社へ改称し、翌明治2年(1869)には九戸氏の旧館跡にあたる現在地へ遷座した。さらに、明治4年(1871)に村社へ列せられ、明治43年(1910)には無格社八幡宮を合祀した。大正10年(1921)には神饌幣帛料供進社および会計指定社となり、地域を代表する神社としての地位を築いた。
しかし、昭和17年(1942)には参詣者が使用した灯火が原因となる火災によって社殿が焼失し、古棟札や権現頭をはじめとする旧記や社宝の多くを失った。それでも神社は再建され、現在も地域の信仰を集めている。例祭は毎年8月17日に執り行われ、神輿渡御をはじめ、九戸神楽や駒踊り、風流山車の巡行、夜の流し踊りや花火大会など、多彩な行事が行われる地域を代表する祭礼として受け継がれている。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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