斗賀神社 - 神社ファン

有名度

前頭

斗賀神社

とがじんじゃ

青森県三戸郡南部町斗賀字上斗賀7

😞 🙁 😐 🙂 😄

青森県三戸郡南部町斗賀字上斗賀7

かんたんご利益

  • 仕事
  • 子供
  • 安全
  • 厄除
  • 家庭
斗賀神社には

「仕事系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

農業守護 安産 海上安全 交通安全 災難除け 方位除け 夫婦円満

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(柱)」 「月読系」 「白髭・猿田彦系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

斗賀神社は青森県三戸郡南部町に鎮座する神社。御祭神は伊邪那美尊、月読尊、猿田彦命の3柱をまつる。
斗賀神社は明治初年まで霊現堂、涼現堂、または新源寺と称された。古くは天台宗に属し、藩政期には真言宗の寺院となった。承応2年(1653)の八戸藩の記録には「斗賀れうげん」「斗賀了源観音」と記され、寛保4年(1744)の『諸寺院寺号山号帳』には豊山寺支配の「霊現山新源寺」として、高10石を給されていたことが記録されている。
霊現堂は糠部三十三観音第16番札所で、斗賀観音とも呼ばれた。境内には神仏習合時代の木造舞楽面や龍頭、鰐口などが伝わり、鰐口には正平21年(1366)3月3日の銘が刻まれている。
享保4年(1719)には、八戸藩第4代藩主・南部広信が病気平癒を祈願して撞鐘を寄進した。この撞鐘は現在も境内の鐘堂に納められている。
明治初年の神仏分離により斗賀神社へ改称し、明治6年(1873)に村社となった。明治40年(1907)には幣帛供進神社に指定され、昭和24年(1949)には国有地となっていた境内地400坪1合3勺の譲与を受けた。
昭和38年(1963)の国道104号改設に伴って社殿や社頭の改修が行われ、昭和51年(1976)には鐘堂が完成した。平成11年(1999)には屋根や鳥居の改修、手水舎の新築などの境内整備が行われた。
境内に伝わる木造舞楽面11面、猿楽面1面、龍頭4点は、中世の舞楽文化を伝える貴重な資料である。舞楽面のうち還城楽面と納曾利面は鎌倉時代末から南北朝時代、ほかの舞楽面は15~16世紀、猿楽面は16世紀の作とされる。これらの木造舞楽面及び龍頭は令和3年(2021)に青森県重宝(彫刻)に指定され、正平21年(1366)銘の鰐口も青森県重宝(工芸品)に指定されている。
境内には南部広信寄進の撞鐘を納める鐘堂が建ち、拝殿には「霊現山」の扁額が掲げられている。例祭は毎年9月17日に執り行われる。
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神社詳細

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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/