有名度
十両今別八幡宮
いまべつはちまんぐう
青森県東津軽郡今別町今別字今別2-5
青森県東津軽郡今別町今別字今別2-5

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
今別八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
今別八幡宮は青森県東津軽郡今別町に鎮座する神社。御祭神は譽田別尊の1柱をまつる。
大同2年(807年)、平城天皇の御代に、当時「今渕」と呼ばれていた現在の今別の地へ石清水八幡神が勧請されたと伝えられている。藩政時代の記録である『津軽藩永禄日記』には、今別城主・平氏の息女が浪岡城主・北畠具運に嫁いだことを記念し、北畠具運が竜飛から今別の浦の平安を願って石清水八幡神を勧請し、社殿を再建したと記されている。この伝承は120年後の延宝8年(1680年)に成立した『堂社帳』にも記されており、宝永2年(1705年)の『社堂縁起』には、当時は社殿のほかに二間に五間の神楽殿が建てられていたことが記録されている。
明治5年(1872年)、宮号廃止の官令により「今別神社」と改称したが、その後、現在は旧称の「今別八幡宮」に復している。昭和25年(1950年)、津軽線の敷設に伴い境内地約200坪が鉄道用地として提供され、現在では社殿へ続く石段の下を線路が通る全国でも珍しい景観となっている。
境内には400年以上前に制作されたと伝わる狛犬が残されており、日本海海運の往来によって当地へもたらされたものと伝承されている。例大祭は旧暦8月15日に斎行され、神幸式も同日に執り行われてきたほか、『永禄日記』には永禄4年(1561年)にも神幸式が行われたとの記述が残る。現在の例祭日は9月15日である。過疎化の影響により神輿渡御は往時のような盛大さではなくなったものの、氏子や崇敬者によって敬神の心は今も大切に受け継がれている。
大同2年(807年)、平城天皇の御代に、当時「今渕」と呼ばれていた現在の今別の地へ石清水八幡神が勧請されたと伝えられている。藩政時代の記録である『津軽藩永禄日記』には、今別城主・平氏の息女が浪岡城主・北畠具運に嫁いだことを記念し、北畠具運が竜飛から今別の浦の平安を願って石清水八幡神を勧請し、社殿を再建したと記されている。この伝承は120年後の延宝8年(1680年)に成立した『堂社帳』にも記されており、宝永2年(1705年)の『社堂縁起』には、当時は社殿のほかに二間に五間の神楽殿が建てられていたことが記録されている。
明治5年(1872年)、宮号廃止の官令により「今別神社」と改称したが、その後、現在は旧称の「今別八幡宮」に復している。昭和25年(1950年)、津軽線の敷設に伴い境内地約200坪が鉄道用地として提供され、現在では社殿へ続く石段の下を線路が通る全国でも珍しい景観となっている。
境内には400年以上前に制作されたと伝わる狛犬が残されており、日本海海運の往来によって当地へもたらされたものと伝承されている。例大祭は旧暦8月15日に斎行され、神幸式も同日に執り行われてきたほか、『永禄日記』には永禄4年(1561年)にも神幸式が行われたとの記述が残る。現在の例祭日は9月15日である。過疎化の影響により神輿渡御は往時のような盛大さではなくなったものの、氏子や崇敬者によって敬神の心は今も大切に受け継がれている。
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神社詳細
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/
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