四道将軍
しどうしょうぐん
第10代崇神天皇の時代に、国土を平定するために派遣されたと伝えられる4人の皇族将軍。日本書紀によれば大彦命(第8代孝元天皇の子)を北陸道に、武淳川別(大彦命の子で第8代孝元天皇の孫)を東海道に、吉備津彦(第7代孝霊天皇の子)を西海道に、丹波道主命(第9代開化天皇の子)を丹波の4地域に派遣したとされる。古事記では孝霊天皇の時代に大吉備津日子命と若建吉備津日子命(共に孝霊天皇の子)を吉備に派遣し、崇神天皇の時代になって大毘古命(大彦命)を高志道に、その子の建沼河別命(武淳川別)を東方十二道に、日子坐王(第9代開化天皇の子)を丹波へ派遣したとされ、派遣された地域、将軍の名前に違いが見られる。 大和朝廷の国土統一を象徴した説話とされ、以降、支配領域は大幅に拡大した。この伝承により崇神天皇は「初めて国を治めた天皇」を意味する御肇国天皇と呼ばれたといわれる。 それぞれの派遣先、あるいはその途上で、武運長久や鎮護を祈願し創祀したと伝わる神社に後年自らも祭神としてまつられている。また任地の開拓を行ったとの伝承が残る地では、開拓神としてもまつられている。
