野見宿禰
のみのすくね
- 神話・伝説
- 男神・男性

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菊池容斎(前賢故実)

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祭神ランキング221位
野見宿禰とは?
野見宿禰は『日本書紀』などに登場する男神。出雲国の人物で、相撲の祖、土師氏の祖として知られる。
『日本書紀』によると、垂仁天皇の時代、大和国に当麻蹶速《たいまのけはや》という怪力の人物がおり、「自分より強い者と命をかけて力比べをしたい」と豪語していた。これを聞いた天皇が当麻蹶速に匹敵する者を尋ねると、出雲国に勇士の野見宿禰がいることが知らされ、朝廷へ召し出された。
野見宿禰と当麻蹶速は天皇の前で力を競い、互いに蹴り合った。野見宿禰は当麻蹶速の肋骨を蹴り折り、さらに腰を踏み折って勝利した。これが相撲の起源に結びつけられ、野見宿禰は後世「相撲の祖」として信仰されるようになった。勝利した野見宿禰には当麻蹶速の土地が与えられ、そのまま朝廷に仕えたと伝えられる。
その後、垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命が亡くなると、天皇はそれまで陵墓で行われていた殉死に代わる方法を群臣に尋ねた。野見宿禰は出雲国から土部《はじべ》百人を呼び寄せ、粘土で人や馬などの形を作って陵墓に立て、これを生きた人間の代わりとすることを提案した。天皇はこれを喜び、土で作ったものを「埴輪」と名付けたとされる。野見宿禰には土師臣《はじのおみ》の姓が与えられ、土師氏の祖となったという。
この埴輪起源説話は、埴輪が実際には野見宿禰の時代とされる年代より前から段階的に成立したと考えられているため、考古学的な埴輪の起源をそのまま説明するものではない。一方で、古墳造営や埴輪製作、葬送儀礼を担った土師氏が、自らの祖先と職掌の由来を野見宿禰に結びつけた伝承として重要である。
土師氏からは後に菅原氏や大江氏などが分かれたとされ、野見宿禰は菅原道真につながる祖神としても信仰された。相撲の祖神としては力や勝負、スポーツに関わる神徳が説かれ、土師氏の祖としては陶業や土木、葬送に関わる神としても崇敬されている。
野見宿禰は兵庫県たつの市の野見宿禰神社、奈良市の菅原天満宮、大阪府高槻市の野見神社などで祀られている。特に相撲との関係が深く、現在も相撲関係者から祖神として崇敬されている。
エピソード
『日本書紀』によれば、大和国当麻邑《たいまのむら》に当麻蹶速という怪力の男がいた。蹶速は角を折り、鉤を伸ばすほどの力を誇り、自分より強い者と命がけで力比べをしたいと豪語していた。これを聞いた垂仁天皇が家臣に尋ねると、出雲国に野見宿禰という勇士がいると報告された。野見宿禰は出雲から召し出され、蹶速と対戦することになった。二人の勝負は、現在の相撲のように土俵から押し出す競技ではなく、互いに蹴り合う激しい格闘であった。野見宿禰は蹶速の脇骨を蹴り折り、さらに腰を踏み折って死なせた。勝者となった野見宿禰は蹶速の土地を与えられ、そのまま朝廷へ仕えたとされる。この説話から、野見宿禰は相撲の祖神として崇敬されるようになった。ただし、この対戦を現代相撲の最初の取組とそのままみなすことはできない。記録されているのは武器を使わない格闘であり、のちの相撲につながる力比べの起源説話として位置づけられる。
出典・参考:『日本書紀』垂仁天皇紀、日本相撲協会「相撲の神様を祀る 野見宿禰神社」、兵庫県立歴史博物館「相撲の神様、野見宿禰」
垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命が亡くなると、天皇は古くから行われていた殉死を避ける方法を家臣に尋ねた。野見宿禰は出雲国の土部《はじべ》を呼び寄せ、土で人、馬、さまざまな物の形を作って陵墓へ立てることを提案した。天皇はこれを喜び、土製の像を埴輪と名づけたという。野見宿禰は功績によって土部の職に任じられ、その一族は土師臣を称したと『日本書紀』は伝える。
しかし、考古学では円筒埴輪が人物埴輪より先に成立しており、埴輪が殉死者の代用品として始まったことを示す証拠もない。日本で殉死が一般的に行われたこと自体も確認されていない。そのため、この説話は埴輪の実際の起源ではなく、古墳造営、埴輪製作、天皇の葬送を担った土師氏が、自らの職掌の由来を祖先の功績によって説明した伝承と考えられている。史実とは区別が必要だが、野見宿禰が人命を守る葬送法を提案した人物として敬われたことは、相撲の豪勇とは異なる知恵と仁愛の姿を伝えている。
出典・参考:『日本書紀』垂仁天皇紀、奈良県「菅原東遺跡埴輪窯跡群」、藤井寺市「埴輪の起源説話」、ジャパンサーチ「埴輪」
『新撰姓氏録』などでは、野見宿禰はアメノホヒの後裔とされ、土師氏の祖に位置づけられる。土師氏は古墳の造営や埴輪の製作だけでなく、天皇や皇族の葬送儀礼を担った氏族である。奈良市菅原町周辺では埴輪窯跡が確認され、土師氏の職掌と地域との結びつきを考える重要な遺跡となっている。
奈良時代末の天応元年(781)、土師氏の一部は居住地にちなんで菅原氏へ改姓した。この系統から平安時代の学者・政治家である菅原道真が出たため、野見宿禰は菅原氏と天神信仰につながる遠祖としても崇敬される。奈良市の菅原天満宮では、天穂日命、野見宿禰、菅原道真を「菅家一系三神」として祀っている。怪力で当麻蹶速を倒した相撲の神、埴輪を考案した土師氏の祖、さらに学問の家系である菅原氏の遠祖という複数の性格が、一つの系譜によって結びついているのである。
出典・参考:『新撰姓氏録』、『続日本紀』天応元年条、奈良県「菅原東遺跡埴輪窯跡群」、日本相撲協会「相撲の神様を祀る 野見宿禰神社」
東京都墨田区の野見宿禰神社は、明治17年(1884)に相撲の始祖とされる野見宿禰を祀って創建された。現在地は両国国技館に近く、日本相撲協会によって大切に守られている。境内には歴代横綱の名を刻んだ石碑があり、大相撲本場所の前には協会役員らが出席して例祭を行う。新横綱が奉納土俵入りを行うこともあり、野見宿禰は現代の大相撲でも守護神として生き続けている。
野見宿禰と当麻蹶速の対戦は、現在の相撲とはルールも形態も異なる。しかし、力を競い、勝敗を決する古代の物語が、相撲の歴史を象徴する説話として受け継がれた。近代に相撲が国技として整えられる中で、野見宿禰は競技の始祖として改めて顕彰され、力士の安全、技量向上、相撲界の繁栄を守る神となった。古代氏族の祖先伝承が、近現代のスポーツ文化と結びついた代表的な例である。
出典・参考:日本相撲協会「相撲の神様を祀る 野見宿禰神社」、『日本書紀』垂仁天皇紀
出典文献
日本書紀
神格
ご神徳
別称・異称
のみのすくね
その他
祀られている主な神社
菅原天満宮
(奈良県奈良市菅原東518)
野見神社
(愛知県一宮市今伊勢町宮後字稲荷1929番)
野見神社
(大阪府高槻市野見町6-6)
野見宿禰神社
(兵庫県たつの市龍野町北龍野)
あやめ池神社
(奈良県奈良市あやめ池南9丁目)
